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2013年8月24日土曜日

〔メモ〕シベリア航空機撃墜事件(2001年10月)

☆シベリア航空機撃墜事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A2%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F%E6%92%83%E5%A2%9C%E4%BA%8B%E4%BB%B6

シベリア航空機撃墜事件とは、2001年10月に発生したウクライナ軍ウクライナ防空軍によるとされる民間航空機撃墜事件である。原因は演習をしていたウクライナ防空軍のミサイルが誤って旅客機を撃墜した過失であるとされるが、当該機がイスラエルから飛行していたこと、またアメリカ同時多発テロ事件の翌月に発生したため、新たなテロではないかと物議をかもした。

2001年10月4日、ロシアの航空会社シベリア航空(現・S7航空)1812便のツポレフTu-154Mは、イスラエルのテルアビブからロシアのノボシビルスクに向けて黒海上空を飛行中であった。しかし午後1時44分(現地時間)に何の前触れもなく墜落した。

旅客機には乗員12名、乗客66名(うち51名がロシア系イスラエル人)のあわせて78名が搭乗していたが、全員が犠牲になった。ソチにあるロシアの地上管制センターは突然旅客機との交信不能になったが、付近を飛行していたアルメニア航空機のパイロットが、シベリア航空機が空中で爆発後、急降下して墜落するのを目撃したと管制塔に報告した。

当初、9・11事件の直後であったため、テロリズムによる破壊活動であると考えられたが、当日は黒海沿岸にあるウクライナ軍が過去数年間で最大規模の軍事演習を実施しており、現場から約240 km離れたクリミア半島東部の軍事施設で行われていた地対空ミサイルの発射訓練によるミサイル誤射・撃墜説が唱えられた。この説によれば、旅客機の近くでミサイルが炸裂し、その爆発の衝撃で致命的な損傷を受けた為に墜落したというものであった。

ロシア政府は事件の2日後、「ウクライナ軍が発射したS-200地対空ミサイル(射程300 km)が命中した疑いがある」と述べ、5日後には政府の調査委員会が、「ウクライナ軍のミサイルが事故機を撃墜した」との見解を示した。そして2001年10月12日には、「シベリア航空機は地対空ミサイルに撃墜された」と発表した。「旅客機の破片についた痕跡がS-200によって生じる特徴的なものである」とし、また「ミサイル発射と墜落のタイミングは、一致している」と報告した。

(略)

また、中立的な位置にある第三者であるアメリカ政府当局者は事故直後から、偵察衛星の記録を根拠に、「ウクライナの軍事演習で発射された地対空ミサイルがシベリア航空機に命中したようだ」との見解を述べていた。




《おまけ》

アルルの男
https://twitter.com/bilderberg54/status/369659327147028480
JAL事件の日、日米合同軍事演習が行われた。海では、相模湾。伊豆沖で当時の最新鋭護衛艦「まつゆき」を中心に艦船、潜水艦が出動。空では、茨城県百里基地所属の航空自衛隊戦闘機、また航空自衛隊や在日米軍の電子戦機が待機。はるか上空では米軍の軍事衛星が演習を監視。



アルルの男
https://twitter.com/bilderberg54/status/369650917546528769
事故の犠牲者・小川哲さんが機内で撮影していた貴重な写真。(第五章)
(上)窓の外に、謎の黒い点が写っている。
http://nekotomo.at.webry.info/201209/article_17.html



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