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2017年3月2日木曜日

【首相動静アーカイブ】安倍首相夫妻が加計孝太郎・加計学園理事長と会食

☆首相動静(2016年12月24日)
(時事通信)

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016122400076&g=pol

http://archive.is/dAkpA

午後6時2分、東京・丸の内の鉄鋼ビルディング着。南館内のエグゼクティブラウンジで高橋精一郎三井住友銀行副頭取、加計孝太郎学校法人加計学園理事長、昭恵夫人らと食事。

午後9時52分、同所発。

【メモ】安倍昭恵氏は神戸市の学園(ここも「国有地払い下げ」案件がある)の名誉園長でもある

https://twitter.com/hatatomoko/status/836954978094702592



☆安倍昭恵首相夫人 安保関連法「日本が自立するための一歩」
(産経新聞 2015.9.20)

http://www.sankei.com/west/news/150920/wst1509200031-n1.html

https://web.archive.org/web/20170301201809/http://www.sankei.com/west/news/150920/wst1509200031-n1.html

2016年7月16日土曜日

2016年6月13日月曜日

【歴史点描】東ドイツのスパイが西ドイツ首相の秘書になったケース

☆ギュンター・ギヨーム ~ 潜入

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%A0#.E6.BD.9C.E5.85.A5

1950年、東ベルリンで「人民と世界」社の編集員となる。この年から1956年まで、ギヨームはドイツ民主共和国(東ドイツ)の国家保安省(シュタージ)にスカウトされ、西ドイツに潜入するための訓練を受けていた。1951年、同じくシュタージの工作員教育を受けていた秘書のクリステル・ボームと結婚。二人は一男をもうけている。1952年、ドイツ社会主義統一党(SED)に入党。1956年、シュタージの指令を受け身分を隠して亡命を装い西ドイツに移住し、フランクフルトに住んで喫茶店を経営する。

1957年、ドイツ社会民主党(SPD)に入党。クリステルは同党ヘッセン州南部地区事務所の秘書となった。1964年から党の指導員として政治活動に従事。フランクフルト地区の党事務局長となり、1968年からはフランクフルト市議会SPD議員団の事務局長となる。

同年市議会議員に当選。翌年のドイツ連邦議会選挙に際しては、地元選挙区のSPD候補であるゲオルク・レーバー連邦交通相の選挙戦に従事、高い得票を得て、組織運営の才を発揮した。

レーバーの推薦でギヨームは連邦首相府の経済・財政・社会政策担当秘書となり、ヴィリー・ブラント首相の信頼を勝ち取った。

1972年、その勤勉さと事務能力を買われてブラントの個人秘書になる。

こうして彼は西ドイツ首相の極秘文書や内輪の会議の内容、さらには私生活までを知りうる立場となった。

【歴史点描】西ドイツの警官が東ドイツのスパイとなり国内の反政府運動を過激化させるために暗躍したと思われるケース

☆カール=ハインツ・クラス

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%EF%BC%9D%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B9

カール=ハインツ・クラス(Karl-Heinz Kurras, 1927年12月1日 ~ 2014年12月16日)は、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)の警察官。

西ベルリンにてベルリン警察に勤務していたが、少なくとも1955年から1967年までの間、ドイツ民主共和国(東ドイツ)の秘密警察である国家保安省(シュタージ)のエージェントとして活動していたとされる。

(略)

1967年6月2日、イラン皇帝パフラヴィー2世の訪独に関するデモがベルリン・ドイツ・オペラ前で行われた。警備任務を受けた警察官の1人として出動していたクラス上級刑事長 (Kriminalobermeister) は、ベルリン自由大学の学生ベンノ・オーネゾルクを背後から射殺したのである。当時の裁判では過失致死の疑いが持たれていたもののクラス側は自衛を主張し、計画的殺人ではなかったとして無罪判決が下されている。

判決後、西ドイツ、特に西ベルリンでは事件への反発から学生による左派運動が活発化し、極左テロ組織である六月二日運動やドイツ赤軍の設立に繋がった。

2009年5月、新たに公開されたシュタージの文書の中で、クラスがシュタージのエージェントだったことが明らかになった。

(略)

オーネゾルク事件と無罪判決への反発は、西ドイツ全土で学生運動を激化させた。

コムーネ1のメンバー、フリッツ・トイフェルは「クラスは単に数ヶ月の休暇を過ごしただけに過ぎない」との抗議声明を発表した。ユダヤ系社会学者のテオドール・アドルノは、オーネゾルク事件での裁判所の判断について「強制収容所でのユダヤ人虐殺に対する弁明に驚くほど似ている」とコメントした。

このコメントを受けて、学生運動では反学生運動記事を多く掲載した『ビルト』紙の発行元であるアクセル・シュプリンガー出版社の社屋封鎖を試みたり、高等教育および警察訓練の民主的改革を求めるデモが行われた。

ラルフ・ラインダースとロナルト・フリッチュは、この事件の起こった日に因んだ名を持つテロ組織、6月2日運動を設立した。

【歴史点描】あまり知られていないことだがリヒャルト・ゾルゲは当時の日本の外交方針を変えることに成功している

☆ゾルゲ諜報団 ~ 日本が対ソ開戦するか否か

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BE%E3%83%AB%E3%82%B2%E8%AB%9C%E5%A0%B1%E5%9B%A3#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.8C.E5.AF.BE.E3.82.BD.E9.96.8B.E6.88.A6.E3.81.99.E3.82.8B.E3.81.8B.E5.90.A6.E3.81.8B

ただし、ゾルゲの手記によればモスクワからは政治的性質を持った宣伝や組織的機能に従事することは厳禁されており、グループはどんな個人・団体に対しても政治的な働きかけはほとんどおこなわなかったが、独ソ開戦で日本の対ソ参戦の可能性が高まった1941年には尾崎の提言により対外政策を南進論に転じさせる働きかけを積極的におこなったと述べている。

『ゾルゲ事件 獄中手記』P230~233。
南進論への活動の際、モスクワにその意向を確認したところ「不必要」という回答であったが、ゾルゲは自分の権限内の行為として差し支えないと考えたという。またその行動もモスクワから課された制限内でおこなったと述べている。

2016年5月12日木曜日

【歴史の教訓】組織の長としての心構えの「極意」と思われるもの

「お殿様は間違っても構いません。昔から家臣が何とかしたものです。ただうろたえてはいけません。周りもうろたえられると助けられませんから」


☆真田家14代当主・真田幸俊「徳川家を敵に回した代償」
(週刊朝日 2015年10月16日号)

http://news.livedoor.com/article/detail/10699066/

http://www.webcitation.org/6hRtlZexs

2016年4月15日金曜日

【災害メモ】ネットテレビ局「AbemaTV」のニュースチャンネルは日頃から24時間放送

※ AbemaTV(アベマティーヴィー)は、サイバーエージェントとテレビ朝日が合弁で設立したインターネットテレビ局の名称。および同サービスの運営会社、株式会社AbemaTVである。
チャンネルの一つに「AbemaNews」(24時間ニュース専門放送局。オリジナル番組の他、ANN系の報道番組を一部配信)がある。

https://twitter.com/AbemaTV/status/720631591416934400



2016年1月18日月曜日

【ノウハウ/ハウツー】インターネットで南アフリカ国際放送「チャンネル・アフリカ」を聴く方法

※チャンネル・アフリカ(Channel Africa)は、南アフリカ放送協会の国際放送。 短波、衛星、インターネットでの放送を行っており、南アフリカ、アフリカ大陸のニュース、文化、スポーツ、時事などを中心に放送している。



まず、このURLをクリックして
http://www.sabc.co.za/wps/portal/SABC/SABCHOME
さらに
Radio → Channel Africa → Listen Live
の順でクリックする。

そうするとポップアップ画面が出てくるので、そこで表示された「右向き三角ボタン」をクリックする。

これで音声が流れてくる。



2010年3月23日火曜日

〔司法メモ〕 「黙秘権」を行使すると罪が重くなる

坂本宏一(広島市内で弁護士を30年近くやっている)
http://twitter.com/kohsak/status/10916803091

刑事事件で,黙秘をしたり,否認したりすると検察官は必ず反省していないといい,裁判官もそれをそのまま受け入れて,量刑が重くなる。警察官や検察官は黙秘すると罪が重くなるぞといって被疑者に自供を迫る。黙秘権が侵害され,えん罪が生まれる悪循環。冷遇されている黙秘権を救いたい。


坂本宏一(広島市内で弁護士を30年近くやっている)
http://twitter.com/kohsak/status/10917043943
不当な逮捕やまちがった逮捕の被疑者には,がんばって黙秘しようと助言してきたし,それで不起訴となった事件もいくつもあるし。最近の弁護士はそういう助言をしないのかなあ。

〔メモ〕社民党幹事長は腰を据えての滞米経験あり

592 名前:無党派さん[sage]
投稿日:2010/03/23(火) 18:39:36 ID:vMrbFZ6U

意外なところで重野幹事長の名前を発見した。


米国大使館首席公使ジム・ズムワルトの公式ブログ
http://tokyo.usembassy.gov/zblog/j/zblog-j20100323a.html

先日、社団法人・国際農業者交流協会のために開かれたレセプションで、農業に従事する素晴らしい方々とお会いしました。同協会の設立は1951年で、農業に従事する日本の若者に、米国の農家と共に生活し働く機会を提供することを目的としています。

このプログラムのおかげで、日本の農家の若者が米国の農業技術を学ぶことができ、日米両国の相互理解促進にも役立っています。

過去58年間にこのプログラムでは、延べ1万2000人を超える日本の若い農業従事者が、最長2年間の米国生活を体験しました。

重野安正・社民党幹事長や蒲島郁夫・熊本県知事も、かつてこのプログラムに参加しました。

2010年2月24日水曜日

〔史料〕下地幹郎代議士が防衛事務次官をゴルフ接待

☆守屋氏をゴルフ接待、下地衆院議員が沖縄・宮古島で
(2007年10月29日の読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe8000/news/20071029ic24.htm

http://www.asyura2.com/10/lunchbreak35/msg/517.html

29日、那覇市で記者会見した下地氏によると、宮古島で5月4日、守屋氏ら3人でゴルフをし、守屋氏のプレー代やホテル宿泊代、東京からの往復航空運賃など計12万円程度を払った。

自衛隊の部隊を誘致するため、守屋氏に宮古島近くの下地島空港を視察してもらうのが主な目的で、1泊2日の日程で招待したという。



《下地議員一族の本拠地「宮古島」に住んでいる人のブログより》

☆下地幹郎氏、守屋氏をゴルフ接待 
(「豊かで平和で楽しい宮古島をつくる会」中山誠氏のブログ。2007年11月1日)

http://lastparadis.ti-da.net/e1805998.html

そもそも下地島空港の自衛隊誘致を最初に提案したのも下地幹郎代議士であり、これは下地島空港の航空自衛隊基地化であり米国空軍基地化です。

一体全体何の為の提案なのでしょうか?

基地にするには数4千億円(原文ママ)の予算が必要だそうです。滑走路の増設をはじめ隊舎やその他の土木建設費です。では下地幹郎議員は激減する大米建設にの(原文ママ)売上げ増を計って基地建設を目論んだのではないでしょうか。

(略)

ハタ!と思いついたのですが、「なる程魚心あれば水心あり」で
下地幹郎代議士は人の弱点を見抜く才能、人の欲望を知る才能により
守屋氏の性格を以前から見抜いていたのだ!

だから宮古島の最近の七不思議として語られている
「自衛隊官舎数億円建設を大米建設が落札した。自民党に立てついている下地幹郎一族会社に何故?WHY?」
と言う巷の疑問の謎が解けたわけです。

なる程、防衛庁の天皇と言われる守屋氏と親しくて、ゴルフもおごる仲なら「あり」だネ!

小さな南の島の数億円10億円程度の工事なら守屋天皇に苦言する
自民党代議士は、いないのでしょう。

まして、テロ特措法など防衛省は問題山積中ですから、南の島にまで
目は届かないのでしょう。

ま、この程度は、とりあえず目をつぶってもいいのですが、逆に5月に
下地島空港を何の為に視察したのかは、大きな問題です。

下地一族は何かと問題だらけで、まさに疑惑の一族です。

弟の代議士の行動も常にキナ臭いし、兄の米蔵氏の大米建設の自衛隊官舎落札も、同じく張水リゾートはアトールホテルの家賃未払いもありマリンターミナル社からのホテルの明け渡しを求められる提訴されており更に同じく米蔵氏が社長と伊志嶺市長との癒着を想像させる東平安名崎の未公開、非入札による捨て値での売買契約等、謎と疑惑のオンパレードです。



〔タグ〕
照屋寛徳
下地幹郎
守屋武昌

〔普天間〕産経新聞が「ビンボール魔球」のような記事を掲載していた

「市長選では、不況にあえぐ市民の心のすき間に反米グループが乗じた可能性が高い。名護市が極左化するのではないかと心配だ」


☆「普天間拒否」の稲嶺名護市政スタート 反米闘争勢力の拠点 (産経新聞)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100206-00000548-san-pol

http://www.asyura2.com/10/lunchbreak35/msg/509.html

前出の情報筋は「反対派の中にはイデオロギー闘争を展開している県内外の活動家らに洗脳されている人も多い」と語る。



☆ウィキペディア「アストロ球団」の項→

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E7%90%83%E5%9B%A3

氏家慎次郎(うじいえ しんじろう 元ヘンリー佐多):5番・投手

元特攻隊員。特攻予定の昭和20年8月15日に終戦。終戦後渡米し、死にそこなった虚しさをビーンボールに託し大リーグのナショナル・リーグにおいてヘンリー佐多の名前でビーンボールを駆使し、一大旋風を巻き起こした。刑務所に服役後、ビクトリーに加わる。数々のビーンボール魔球を駆使してアストロを苦しめる。球一に魔球を放って“特攻”後にそれまでの時間を取り戻すように老化し、「成仏」していった。スクリュー投法。

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