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2014年9月18日木曜日

【机上の空論】川内原発で事故発生なら住民は九州新幹線に乗って避難する

☆川内原発事故対策 新幹線で住民避難検討へ
(読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/kyushu/news/20140918-OYS1T50000.html

https://web.archive.org/web/20140918101549/http://www.yomiuri.co.jp/kyushu/news/20140918-OYS1T50000.html

再稼働に向けた手続きが進む九州電力川内せんだい原子力発電所(鹿児島県薩摩川内市)を巡り、内閣府は原発事故対策として、住民避難に九州新幹線を含む鉄道の活用を検討する方針を固めた。

これまで避難手段は自家用車やバスなどを中心に考えられてきたが、渋滞解消や迅速な避難の実現に向け、鉄道を避難計画に組み入れることが可能かどうか、本格的に検討する。




《備考》

☆東北新幹線

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E6%96%B0%E5%B9%B9%E7%B7%9A#.E6.9D.B1.E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E9.9C.87.E7.81.BD.E3.81.AE.E5.BD.B1.E9.9F.BF

2011年3月11日14時46分、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の発生と同時に、東北新幹線は全区間で運転を中止した。仙台駅構内で試運転中のE2系1本が脱線したほか、数本の列車が駅間で立ち往生した。

落橋やトンネルの崩落はなかったが、仙台駅ホームの天井が落下するなど5つの駅が損傷し、大宮 - いわて沼宮内間の約536km(新潟県中越地震で被害が生じた上越新幹線の越後湯沢 - 燕三条間の約5.6倍)で、電柱の損傷が約470箇所、架線の切断が約470箇所、高架橋の橋脚損傷が約100箇所、線路の損傷が約20箇所など、約1,200箇所(うち那須塩原 - 盛岡間は約940箇所)に被害が生じた。

設備の損傷の少なかった東京 - 那須塩原間は3月15日に運転再開(当該区間全列車が「なすの」として運転)、盛岡 - 新青森間は一時3月23日再開予定とされていたが、1日早く3月22日に運転を再開した(同「はやて」として運転)。

3月23日、4月20日前後に全線の運転再開という方針が決定されたが、後に新たな損傷個所が見つかり、4月8日頃に一ノ関 - 盛岡間、4月中旬に那須塩原 - 福島間、20日 - 25日に全線再開と修正された。




《歴史メモ》

☆インパール作戦

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB%E4%BD%9C%E6%88%A6#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E8.BB.8D.E3.81.AE.E6.94.BB.E5.8B.A2

牟田口が補給不足打開として考案した、牛・山羊・羊・水牛に荷物を積んだ「駄牛中隊」を編成して共に行軍させ、必要に応じて糧食に転用しようと言ういわゆる「ジンギスカン作戦」は、頼みの家畜の半数がチンドウィン川渡河時に流されて水死、さらに行く手を阻むジャングルや急峻な地形により兵士が食べる前にさらに脱落し、たちまち破綻した。

また3万頭の家畜を引き連れ徒歩で行軍する日本軍は、進撃途上では空からの格好の標的であり、爆撃に晒された家畜は荷物を持ったまま散り散りに逃げ惑ったため、多くの補給物資が散逸した。

さらに、急峻な地形は重砲などの運搬を困難にし、糧食・弾薬共に欠乏し、火力不足が深刻化、各師団とも前線に展開したころには戦闘力を大きく消耗する結果を招いた。

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