このブログを検索

2014年9月16日火曜日

〔殴り書き〕「赤いゲッベルス」ことミュンツェンベルク(ドイツ共産党)の広報宣伝戦略

☆プロパガンダ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%91%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%80#.E5.9B.BD.E5.AE.B6.E9.81.8B.E5.96.B6.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E3.83.97.E3.83.AD.E3.83.91.E3.82.AC.E3.83.B3.E3.83.80.E3.81.AE.E6.AD.B4.E5.8F.B2

ナチ党に対抗した宣伝活動を行い、「赤いゲッベルス」と呼ばれたドイツ共産党のヴィリー・ミュンツェンベルクは著書『武器としての宣伝(Propaganda als Waffe)』において「秘密兵器としての宣伝がヒトラーの手元にあれば、戦争の危機を増大させるが、武器としての宣伝が広範な反ファシズム大衆の手にあれば、戦争の危険を弱め、平和を作り出すであろう」と述べている。



☆Willi Münzenberg

http://en.wikipedia.org/wiki/Willi_M%C3%BCnzenberg

Wilhelm "Willi" Münzenberg (14 August 1889, Erfurt – June 1940, Saint-Marcellin, France) was a communist political activist. Münzenberg was the first head of the Young Communist International in 1919-20 and established the famine-relief and propaganda organization Workers International Relief in 1921. He was a leading propagandist for the Communist Party of Germany (KPD) during the Weimar Era, but later grew disenchanted with Communism due to Joseph Stalin's Great Purge of the 1930s.




ポラーノ博士(岡京の学究)
https://twitter.com/mimipinpi/status/511638014271832065
①〈ナチスに抵抗した男〉
ドイツ共産党だったミュンツェンブルクは、従来の新聞が教養層を対象としていたのに対し、彼が1921年11月創刊に創刊した『イラスト労働者新聞』は、ページ数を少なくし、安価にし、イラストや写真をふんだんに入れ視覚に訴える構成にした。


ポラーノ博士(岡京の学究)
https://twitter.com/mimipinpi/status/511638406292463617
②〈ナチスに抵抗した男〉
また、ミュンツェンブルクは、新鋭スタッフを雇い、モンタージュ技法など最新技術も駆使。共産主義の宣伝だけでなく、スポーツ記事や「月の世界はどうなっている」といった教養的な内容で、労働者の知的好奇心を満たす内容のものを作り、発行した。


ポラーノ博士(岡京の学究)
https://twitter.com/mimipinpi/status/511639229437210624
③〈ナチスに抵抗した男〉
ナチスの広報戦を分析し、その先鋭さと弱点をも把握した上で、ミュンツェンブルクは、この『イラスト労働者新聞』を発行。これを足がかりにして有力な雑誌や新聞を傘下に治め、ドイツ出版界で右派フーゲンベルクに次ぐ、第二左翼出版コンツェルンを構築。


ポラーノ博士(岡京の学究)
https://twitter.com/mimipinpi/status/511640073507332097
 ④〈ナチスに抵抗した男〉ナチスの政権掌握に伴い、彼はパリに亡命。ナチスの焚書→ドイツ人亡命者が焚書にされた著作を積極的に集めようとした「ドイツ自由図書館」創設にミュンツェンブルクも参加。反ファシズム運動に尽力。ドイツ人民戦線を作る運動をパリで遂行。
(ひとまず了)




《おまけ「夷の長技を師として以て夷を制す」》

☆洋務運動

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%8B%E5%8B%99%E9%81%8B%E5%8B%95#.E8.83.8C.E6.99.AF

この時期、魏源は『海国図志』(1843年初版、1852年増補)で「師夷之長技以制夷」(西洋人の進んだ技術を用いて西洋人を制する)と主張し、馮桂芬は『校邠廬抗議』で「以中国之倫常名教為原本、輔以諸国富強之術」(中国の倫理を基本として、諸国の富強の技術で補う)を主張。



やきとりのいない八月

飛び地A

ブログ アーカイブ

The Daily Star(レバノン)

Rudaw(イラク)