投稿日:2013/06/08(土) 08:18:48.20 ID:Gi2qfjAA
古代人は天候不順で不作になると、指導者を批判したが、現代では「景気」や「株価」がそれに相当している。
確かに「為政者にはどうしようもない」という考え方もできるが、一方で、「やはり、すべてを含めて為政者の責任」とも言えるのである。
というのは、「天候」にしても「株価」にしても、「上手くいかないのは神とのとりなしが不調」だからであり、その点、リフレ政策は「最悪」と言っていいものである。
《おまけ》
http://www.shibusawa.or.jp/eiichi/earthquake/earthquake02.html#04
地震発生から8日後、渋沢栄一は新聞のインタビューで、「天譴論」(てんけんろん)というのを述べます。この地震は天からの「おしかり」であるというのです。
「大東京の再造についてはこれは極めて慎重にすべきで、思ふに今回の大しん害は天譴だとも思はれる。明治維新以来帝国の文化はしんしんとして進んだが、その源泉地は東京横浜であつた。それが全潰したのである。しかしこの文化は果して道理にかなひ、天道にかなつた文化であつたらうか。近来の政治は如何、また経済界は私利私欲を目的とする傾向はなかつたか。余は或意味に於て天譴として畏縮するものである。」
確かに、幕末維新をかいくぐった人間というのは、自分の命を捨てる覚悟で、日本のため、公益のために尽くそうとした人々でした。しかし、一旦制度ができてしまうと、その中で人々は国や公益のために命を捨てるといった考えをなくしていき、自分の利益、企業の利益、業界の利益しか見ないようになってしまったのではないか。そして、それに対する反省を促す意味があったのではないか。こういうことを渋沢栄一は言っているのです。