《「ツアーガイド」の必要性》
徒然草 第52段
http://www.iwashimizu.or.jp/story/kj.php?seq=17&category=1
仁和寺にいた、ある法師が、年をとるまで石清水八幡宮をお参りしたことがないことを情けなく思い、ある時思い立ち、一人、徒歩でお参りにいった。(山麓の)極楽寺と高良神社をお参りし、(八幡宮へのお参りは)これだけだと思い込み帰路の途についた。
帰った後、傍輩に向って、「ずっと(心に)思っていたこと(八幡宮へのお参り)を果たせた。聞いていた以上に尊さ(八幡大神の御神威)を感じた。ところで、他の参詣者が皆、山へ登っていったが、何か山上にあるのだろうか。行ってみたいとは思ったが、お参りすることが本義であるからと思い、山上までは見に行かなかった。」と言った。
小さなことにも、案内者(指導者)は欲しいものである。