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2013年11月2日土曜日

山本太郎議員は故郷の日本国では受け入れられないので失脚するだろう

のちに群集心理によってエルサレムで刑死することになるイエス・キリストは、故郷ナザレでも群集心理によって殺害されそうになったことがある。

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ルカによる福音書 第4章
http://web1.kcn.jp/tombo/v2/LUKE04.html

それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた。

すると預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を出された、


「主の御霊がわたしに宿っている。
貧しい人々に福音を宣(の)べ伝えさせるために、
わたしを聖別してくださったからである。
主はわたしをつかわして、
囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、
打ちひしがれている者に自由を得させ、
主のめぐみの年を告げ知らせるのである」。


イエスは聖書を巻いて係りの者に返し、席に着かれると、会堂にいるみんなの者の目がイエスに注がれた。

そこでイエスは、「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」と説きはじめられた。

すると、彼らはみなイエスをほめ、またその口から出て来るめぐみの言葉に感嘆して言った、「この人はヨセフの子ではないか」。

そこで彼らに言われた、「あなたがたは、きっと『医者よ、自分自身をいやせ』ということわざを引いて、カペナウムで行われたと聞いていた事を、あなたの郷里のこの地でもしてくれ、と言うであろう」。

それから言われた、「よく言っておく。預言者は、自分の郷里では歓迎されないものである。

よく聞いておきなさい。エリヤの時代に、三年六か月にわたって天が閉じ、イスラエル全土に大ききんがあった際、そこには多くのやもめがいたのに、

エリヤはそのうちのだれにもつかわされないで、ただシドンのサレプタにいるひとりのやもめにだけつかわされた。

また預言者エリシヤの時代に、イスラエルには多くのらい病人がいたのに、そのうちのひとりもきよめられないで、ただシリヤのナアマンだけがきよめられた」。

会堂にいた者たちはこれを聞いて、みな憤りに満ち、立ち上がってイエスを町の外へ追い出し、その町が建っている丘のがけまでひっぱって行って、突き落そうとした。

しかし、イエスは彼らのまん中を通り抜けて、去って行かれた。

それから、イエスはガリラヤの町カペナウムに下って行かれた。

やきとりのいない八月

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