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2013年6月13日木曜日

日本の政府機関や科学研究機関の機密情報が「スパイウェア」で盗み見された可能性も

☆40カ国の政府機関や研究施設等が標的、マルウェア「NetTraveler」 (ワイアードニュース)

http://wired.jp/2013/06/13/espionage-malware-infects-raft-of-governments-industries-around-the-world/

収集した情報に基づくと、グループの規模は約50人で、その大半は中国語を母語とし、英語の実用的な知識がある者たちだと推定される。



《おまけ》

☆旧 海軍の暗号方式  真珠湾前に解読 米軍史料発見で新説
(2011年12月8日の東京新聞)

http://www.asyura2.com/11/warb8/msg/413.html

ただ当時は米軍も対ドイツの情報収集に忙しい時期だった。報告書では、真珠湾攻撃について「十分な人員さえあれば、奇襲にはならなかっただろう」との注釈を付けている。



☆東機関

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%A9%9F%E9%96%A2

東機関(とうきかん)とは、太平洋戦争時、アメリカの戦争遂行能力や軍事作戦、国内世論等の情報収集を目的として大日本帝国(当時)外務省がスペインにて創設した情報収集組織である。『東』の命名の由来は、「情報を盗みとる」の『盗』からきているといわれる。TO(諜報)機関とも。

1941年12月8日の真珠湾攻撃ののち、アメリカ大陸の在外公館を次々と閉鎖させられたことにより情報収集に著しい支障をきたした日本外務省は、親枢軸的なスペインを拠点にアメリカの情報を収集することを構想した。同年12月末の「東機関」創設には、当時の須磨弥吉郎駐スペイン公使、三浦文夫一等書記官らが深く関わったとされ、その組織はユダヤ系スペイン人アンヘル・アルカサール・デ・ベラスコを中心に十数名によって構成されていた。ただし、末端の諜報員までを含めると、その数は数倍になるともいわれるが、正確な人数は把握されていない。

開戦の約半年後には、ワシントンD.C.やニューヨーク、ニューオリンズ、ロサンゼルス、サンフランシスコ、サンディエゴといったアメリカの主要都市にスパイ網を構築し、収集した情報をアメリカ国内からメキシコ経由でスペインへ送り、それをマドリッドの公使館より東京やベルリン・ローマへと打電するというルートが確立された。

アメリカによる1942年夏以降の南太平洋での反攻作戦や原爆開発計画(マンハッタン計画)など、貴重な軍事情報を収集する成果をあげる。

中には教会の神父に化け兵士の懺悔から軍事情報を聞き出すという離れ業を行うスパイもいた。


しかし日本側はもたらされた情報を全く活用しなかった。


また、アメリカは暗号解読によってマドリッドからの「東機関」による情報を全て把握していた。


1944年半ば、アメリカによってその実態が把握されたことで、「東機関」は壊滅に追い込まれた。

1982年9月20日に、NHK特集「私は日本のスパイだった──秘密諜報員ベラスコ」が放映され広く知られるようになった。

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