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2012年7月14日土曜日

【小沢の謀略が奏功か】連合「小沢新党への対応をどうするかは決まっていない」


「江戸城内で家康が東軍諸大名などに宛てた書状は約200通にも及び、家康の書状による情報処理は、その後の戦いの雌雄を決定付けることになる。」



☆三宅雪子議員「過半数取る」…連合にラブコール
(読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/news/20120714-OYT1T00325.htm

http://www.webcitation.org/6993xRFxv

民主党の支持母体・連合群馬との関係については「(2009年の衆院選で)連合から支持していただいた民主党の姿を持って(党の外に)出た。引き続き支援をお願いしたい」と、ラブコールを送った。

(略)

北川秀一・連合群馬会長は「新党への対応は、連合本部の中でも議論中で、選挙で具体的にどうするかは決まっていない。本部と連携して対応を検討したい」と話している。




《おまけ》

☆関ヶ原の戦い

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E3%83%B6%E5%8E%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

小山評定を終え、東軍諸大名が清洲城を目指し西進を開始した後も、家康は動向が不明な背後の佐竹義宣に対する危険から江戸に留まり、藤堂高虎や黒田長政らを使って諸将に書状を送り続け、豊臣恩顧の武将の東軍繋ぎ止めと、西軍の調略による切り崩しを図った。黒田は吉川広家に毛利家所領の安堵を、小早川秀秋に、高台院への忠節を説いて内応を約束させる。

江戸城内で家康が東軍諸大名などに宛てた書状は約200通にも及び、家康の書状による情報処理は、その後の戦いの雌雄を決定付けることになる。

一方、三成が西軍諸大名に宛てた書状は家康のそれよりも少なく、真田昌幸からは「なぜ挙兵前に(挙兵の意思を)知らせなかったのか」と、返書で疑問にされている。



☆小早川秀秋

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%97%A9%E5%B7%9D%E7%A7%80%E7%A7%8B

この秀秋の離反については、当初から家老の稲葉正成・平岡頼勝と東軍の黒田長政が中心となって工作が行われており、長政と浅野幸長の連名による「我々は北政所(高台院)様の為に動いている」と書かれた書状が現存している。また、本戦の開始前より離反することを長政を通じて家康に伝えており、家康も奥平貞治を目付として派遣している。




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