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2012年7月28日土曜日

中国江蘇省のデモを取材中の朝日新聞記者が警官から暴行を受けた


中国江蘇省で日系の工場の廃水計画に反対する大規模デモがあり、一部が暴徒化した。
2012/07/28 10:35  【共同通信】


中国江蘇省のデモを取材中の朝日新聞記者が警官から暴行受け、カメラと記者証を取り上げられた。
2012/07/28 18:34  【共同通信】


中国江蘇省でデモは午後、武装警察などが地元政府庁舎の周辺道路を封鎖したことでほぼ収束した。
2012/07/28 18:46  【共同通信】



《おまけ》

☆上海日本人僧侶襲撃事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E5%83%A7%E4%BE%B6%E8%A5%B2%E6%92%83%E4%BA%8B%E4%BB%B6

1931年9月に満洲事変が勃発し、関東軍が満洲国を樹立した。これにより中国人の対日感情が悪化し、特に中華民国上海では反日運動が高まっていった。

1932年1月18日午後4時ころ馬玉山路を団扇太鼓をならし南無妙法蓮華経を唱えながら勤行していたいずれも日本人の日蓮宗僧侶2名と信者3名が、抗日運動の活動根拠地と見なされていた三友實業公司のタオル製造工場前の路地で、突如中国人と見られる数十人の集団に襲撃された。その結果、僧侶の水上秀雄が死亡し、天崎天山ら2名が重傷を負った。犯人は中華民国側の警察官の到着が遅れたため逃亡した。日本政府は現地の「抗日会」による犯行であるとして、総領事を通じて抗議し反日組織の解散と反日報道機関の閉鎖を要求したが、上海の工部局(市政府)は応じなかった。

この事件により、日ごろから中国人による暴動に反感を抱いていた上海の日本人居留民の怒りを爆発させ、青年同志会員が中国人街に殴り込みをかけ、1月20日には事件の現場になった「反日」の三友實業公司に30人が乱入し工場を放火、中国人と乱闘になり中国人2人を斬殺する一方で日本人1人も射殺され多数が負傷するなど、各所で暴力事件が続発したため、上海の工部局は戒厳令を敷いた。1月20日に上海の日本人居留民は、中華民国の排日運動殲滅すべしとの決議を行った。そして1月28日に居留民保護のために派遣された日本軍と中華民国国府軍とが軍事衝突する上海事変が勃発した。


上海事変以降、日華両国の紛争は限りなく続く事になっていった。

この上海事変の引き金となった日本人僧侶襲撃事件であるが、関東軍による策謀であるとの説がある。これは当時、上海公使館付陸軍武官補佐官だった田中隆吉少佐(後に少将)が東京裁判(極東国際軍事裁判)において、自ら計画した謀略であったと証言しているためである。

田中によると、満州事変のきっかけとなった柳条湖事件の首謀者であった板垣征四郎大佐と関東軍高級参謀花谷正少佐から「満州独立に対する列国の目をそらすため、上海でことをおこせ」と工作資金2万円で依頼され、抗日運動の根拠地であった三友實業公司を買収し謀略を準備していた。

この謀略の実行者は憲兵大尉の重藤憲史と「東洋のマタ・ハリ」こと川島芳子であったという。なお川島は田中の愛人であった。田中から1万円の工作資金を渡された。川島は、命令どおり中国人を雇い日本人僧侶を襲撃させたとされているが、下手人の中国人は何者であったかは明らかになっていない。

ただし、関東軍の謀略説について田中隆吉以外の証言は無いため、その信憑性については議論がある。



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