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2012年7月28日土曜日

脱原発デモを暴徒化させて一気に鎮圧することをもくろんでいる勢力も?


☆中国“環境汚染”抗議デモ収束 (NHK)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120728/k10013931641000.html

http://www.webcitation.org/69Ue9CWpy

デモの参加者は、開始直後は「故郷の環境を守れ」などと声を上げていましたが、次第に一部が暴徒化し、警察官らの制止を振り切って政府庁舎の中に入り、窓から書類などを投げたり火をつけたりしました。

(略)

デモの開始からおよそ5時間半後には、地元政府の責任者が拡声機を通じて、「永久に工事を中止する」と発表し、住民の要求を受け入れる方針を示し、事態は収束しました。

             ↓

kamitori
https://twitter.com/kamitori/status/229180291917438977
NHK。中国でも大きなデモ、庁舎の中にも入り込んで役人と直談判して工事を中止させたと。日本のデモを伝えないNHKが何故報道するのか?日本のデモも、官公庁に不法侵入して閉じこもり、役人を幽閉して直談判をやれとけしかけているのか?!ほんとにやってしまったら、過激派、暴力と騒ぎ立てる




《おまけ》

☆江藤新平

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E8%97%A4%E6%96%B0%E5%B9%B3

大隈・板垣・後藤らは江藤が帰郷することは大久保利通の術策に嵌るものであることを看破し慰留の説得を試みる。しかし江藤はこれには全く耳を貸さず翌13日に船便で九州へ向かう。江藤は直ぐには佐賀へ入らず2月2日、長崎の深堀に着きしばらく様子を見ることになる。

この一方、大久保は江藤の離京の知らせを知った1月13日には佐賀討伐のための総帥として宮中に参内し、2月5日には佐賀に対する追討令を受けている。もちろんこの時点では佐賀側では蜂起の決起さえ、いやそれどころか江藤は佐賀に入国さえしていなかったことに留意する必要がある。江藤は完全に大久保の掌中にあったといえるだろう。


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