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2012年7月8日日曜日

パラグアイの「クーデター」は軍部ではなく寡占マスコミが起こした


☆パラグアイのルゴ大統領、弾劾で罷免 「議会によるクーデター」との非難も (6月24日のAFP通信)

http://www.afpbb.com/article/politics/2885902/9164378

大統領が罷免された約1時間後、フェデリコ・フランコ(Federico Franco)副大統領(49)が後任に宣誓就任した。議会内部では歓声が上がる一方、議会の外では大統領罷免に反発する群衆と警官隊が衝突した。




☆パラグアイ大統領が「守旧派クーデター」を非難
(現代ラテンアメリカ情勢。6月22日)

http://vagpress-salvador.blogspot.jp/2012/06/blog-post_9813.html

▼大統領はまた、今回の画策の背後にコロラード党次期大統領候補オラシオ・カルテスがいる、と指摘するとともに、「彼の支持は伸び悩んでいる。だから他の候補たちと、08年に始まった(ルーゴ政権による)変革過程を潰そうとしている」と非難した。

▽ルーゴは、ストロエスネル長期独裁下で国有資産を私(わたくし)し、特権的地位を謳歌していた守旧派は変化を望まず、民主体制を潰そうとしている、とも述べた。

▼カルテスは銀行、畜産、たばこ生産などを手広く経営する資産家で、コカコーラ社現地代表も務めている。この国の巨大な貧富格差を、富裕な側で代表する人物。1月の党大会で、大統領候補に指名された。昨年11月には、ウィキリークスに「資金洗浄関与」を暴露された。




☆フェルナンド・ルゴ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%B4

パラグアイのサン・ペドロ・デ・パラナ県のサン・ソラーノ生まれ。1970年代後半から1980年代前半にかけて、エクアドルの貧民街で宣教活動をおこない、「解放の神学」に共感を抱いていった。

元サン・ペドロ教区(w:Diocese of San Pedro)の司教。

2008年8月15日にニカノル・ドゥアルテの後を引き継ぎ大統領となった。これにより、半世紀以上続いたコロラド党右派政権にかわり、パラグアイに左派政権が成立することになった。

2009年4月、彼が司教時代に複数の女性と関係を持ち、子どももいたことが判明したことから、国内外で大きな議論を巻き起こす。


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印鑰智哉
https://twitter.com/morita0/statuses/221808315921993728
今回のパラグアイでのクーデタ、2009年にWikileaksが暴露した米国外交筋の流した大統領弾劾計画の筋書き通りだった。ルゴ大統領の失策を通じて、弾劾し、副大統領に交代させる。メディアと遺伝子組み換え‬ 企業と大地主、カトリック教会の連携。


印鑰智哉
https://twitter.com/tomo_nada/status/221578469669212160
パラグアイのクーデタで年配のものは軍事独裁を思い起こし、恐れて抗議行動にすぐ出なかった。抗議に立ち上がったのは若い人たちだったが彼らの勇気は賞賛に値する。しかしメディアはいっせいにクーデタを賞賛、これはあらかじめ計画されたものだったのだ。


印鑰智哉
https://twitter.com/tomo_nada/status/221595642315816960
過去のクーデタは軍事力で大統領を倒したが、今回は疑似民主主義の装いの下に大統領を倒している。どちらの大統領も民衆の支持を得ていた。その民衆に対する牙の剥き方が違う。寡占マスコミも最大限に動員。


印鑰智哉
https://twitter.com/tomo_nada/status/221789553676128257
パラグアイの教訓。2000年以降、革新政権が南米で相次いで誕生。しかし、約束された農地改革が実行された国はない。それを求める社会運動を犯罪集団扱いし、溝を作った。確かに政権は変わったが権力や国家の性格は変わっていない。

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