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2012年7月12日木曜日

「『国民の生活が第一』には党議拘束がないからこそ強い」との見方


三宅雪子(国民の生活が第一)
https://twitter.com/miyake_yukiko35/status/223013555035832320
党議拘束なし日本では異例かつ画期的なことだが、実は当たり前のことなのだ。元々同じ志を持った者が同じ党に所属をする。その上で、国民の付託を受けた国会議員は、国民の意思を一番に考え行動する。これで長かった「処分」文化からサヨナラだ。 これが普通だ。



兵頭正俊(老紳士)
https://twitter.com/hyodo_masatoshi/statuses/223061371951132673
新党「国民の生活が第一」には党議拘束がない。これは素晴らしい。日本人はすぐに規則で拘束したがる。しかし、実は、組織も人も、拘束しない方が強いのである。それが端的に表れたのが先の大戦。がんじがらめに縛られた日本軍は、トップがひとり間違うと全滅した。面々の計らいの方が、強いのである。




《有能なトップといえども「誤判断」するという例》

☆ワーテルローの戦い

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

この会戦が始まる以前から、ナポレオンは決戦場にグルーシー軍を呼ぼうと命じてはいたが、スルトはたった一人しか伝令を出さず(かつての参謀総長ベルティエ元帥なら一ダースの伝令を出しただろう、とナポレオンは後に語っている)、しかも命令書は明瞭さに著しく欠けていたこともあり、グルーシー軍はプロイセン軍に振り切られてワーテルローと逆方面へ向かっていた。




やきとりのいない八月

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