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2015年3月1日日曜日

仏教紙社説「『いつか来た道』では?~何かおかしいメディア状況」

☆「いつか来た道」では? 何かおかしいメディア状況
(仏教紙「中外日報」社説)

http://www.chugainippoh.co.jp/editorial/2015/0227.html

https://web.archive.org/web/20150301112511/http://www.chugainippoh.co.jp/editorial/2015/0227.html

1933(昭和8)年8月、陸軍が東京上空で大規模な敵機迎撃演習をし、信濃毎日新聞が「関東防空大演習を嗤う」という評論を載せた。それが軍部や在郷軍人会の怒りを買い、不買運動で筆者の桐生悠々は社を追われた。戦後70年たって今、マスメディアの状況は当時と似通ってきた、と憂える人々が増えている。



☆桐生悠々

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%90%E7%94%9F%E6%82%A0%E3%80%85#.E3.80.8C.E9.96.A2.E6.9D.B1.E9.98.B2.E7.A9.BA.E5.A4.A7.E6.BC.94.E7.BF.92.E3.82.92.E5.97.A4.E3.81.B5.E3.80.8D

1933年(昭和8年)8月11日、折から東京市を中心とした関東一帯で行われた防空演習を批判して、悠々は社説「関東防空大演習を嗤ふ」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000535/files/4621_15669.html
を執筆する。

同文中で悠々は、敵機の空襲があったならば木造家屋の多い東京は焦土化すること、被害規模は関東大震災に及ぶであろうこと、空襲は何度も繰り返されるであろうこと、灯火管制は近代技術の前に意味がないばかりか、パニックを惹起し有害であること等、12年後の日本各都市の惨状をかなり正確に予言した上で、「だから、敵機を関東の空に、帝都の空に迎へ撃つといふことは、我軍の敗北そのものである」「要するに、航空戦は...空撃したものの勝であり空撃されたものの負である」と喝破した。

この言説は陸軍の怒りを買い、長野県の在郷軍人で構成された信州郷軍同志会が信濃毎日新聞の不買運動を展開したため、悠々は同9月に再び信濃毎日の退社を強いられた。

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