http://blogos.com/article/108878/
https://web.archive.org/web/20150327211234/http://blogos.com/article/108878/
番組終了後には、ネットの生放送に出演、「これで東京のキー局に出ることは無くなったと思うが、ある意味自由に発言していける」と述べた。
《ポーランドの地下放送局(地下ラジオ)》
2010年1月の緊急シンポジウム「『新選組』化する警察&検察&官僚がニッポンを滅ぼす!(フォーラム神保町)」
http://anarchist.seesaa.net/article/138721430.html
https://web.archive.org/web/20120103151022/http://www.forum-j.com/article20100118.html
での光景。
↓
154 名前:無党派さん
投稿日:2010/01/19(火) 02:56:26 ID:E5Soxl0c
会場中継の画面の脇には「トウィッター」(注:Twitter=ツイッター)の欄が表示されており中々気の利いた短文が多かったのですが、その中に「戦時下の地下ラジオを聞いているような感じだ」といった文があり、微笑ましく感じると同時に、今から丁度三十年前に結成されたポーランドの独立自主管理労働組合、「連帯」の事を思い出しました。
「連帯」は後に反政府運動化して共産政府から弾圧されましたが、民主化革命以後代表者であったレフ・ワレサ氏はついにポーランド大統領にまで上り詰めました。この「連帯」が弾圧の間市民のネットワークを維持していくために利用したツールが、カトリック教会を舞台にした秘密集会と西側の情報をキャッチする為のラジオであったと言われます。
この様に地下ラジオ、つまり吹けば飛ぶような小さな規模のネットワークでも、価値ある情報が伝えられるネットワークは強い影響力を持ち得るものなのです。
時代を動かしていく力は決して巨大な存在、強い存在が独占している訳ではなく、むしろ今回の企画の様な、たとえネットも含む聴衆が三千人程度であったとしても、価値を共有した人々が次々と影響を与え増殖していく事で発揮される部分の方がはるかに大きいと、今回は強く感じさせられました。
☆地下放送
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E6%94%BE%E9%80%81
地下放送(ちかほうそう)とは、番組放送の送り手側の姿を隠した放送。公式に放送を表明することなくプロパガンダ宣伝放送を行い、放送の送り手側の主張が放送の受け手側では主流でないなどが特徴。
紛争地域などでは、亡命政府や叛乱政府、独立派や民主化グループ、政治結社などその国では社会的少数者の組織や集団からの放送であることも多く、現代ではインターネットを介して行い主張を展開する事例もある。
☆自由日本放送
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%94%BE%E9%80%81
自由日本放送(じゆうにほんほうそう)は、1950年代前半に武装闘争路線をとった日本共産党の〈所感派〉分派で、中国に亡命していた北京機関の指導の下で北京に設けた地下放送局。
サンフランシスコ講和条約発効後の1952年5月1日に開局。
地下放送局の構想は1951年頃からあり、伊藤律が「自由日本放送」と命名し準備が進められた。放送の実務はレッドパージで日本放送協会(NHK)を追放された藤井冠次が担当した。
IS(注:インターバル・シグナル)は用いず、放送開始には管弦楽による「インターナショナル」のカラオケが用いられた。これはこの放送のためにモスクワで録音されたものである。また中波放送開始時には「平和を守れ」を中央合唱団の歌により放送されたことがあった。