このブログを検索

2014年10月11日土曜日

【沖縄県知事選】喜納昌吉候補は「スタートダッシュ戦術」で闘うものとみられる

☆民主県連新代表に花城氏 喜納氏辞任
(沖縄タイムス)

http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=86151

https://web.archive.org/web/20141010221623/http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=86151

一方、知事選に関する県連からの選挙協力は「若い人たちに迷惑がかかるので、協力は求めない」として、組織に頼らず草の根の運動を展開する意向を示した。


∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


【パルチザン的選挙選術の教材】


山本太郎・三宅洋平陣営の選挙参謀を務めた人物の講演
(2002年)


2002年5月18日 〈京都創政塾専門講座〉
~組織と選挙―市民の組織化~
「カンパとボランティアによる21世紀型市民選挙のススメ」

講演:市民の党代表 斎藤まさしさん

http://ise.nahan.jp/kikou/2006/new0606-6.htm

(キャッシュ)
http://archive.is/vAT0A


千葉の場合、私はいちばん最初の選対会議でこう言ったんです。「60万票取ろうと思ったら、マスコミの最初の世論調査が入るまでに、20万票固めないと無理だ。その時点で横並びにならず、離されて3番目だったら、多くの有権者の選択肢に入れてもらえないから勝てませんよ」と。

だから、最初の世論調査が入るまでに、選挙ハガキで20万票固める、そこにすべてを集中しないとダメだと。ほかのことはしなくていいから、最初の世論調査が入るまでに20万票を固めようという話をしました。

これだけ大きな選挙になると、必ず世論調査が入ります。だいたい選挙に入って最初の日曜日というのが多い。それまでに20万票を固めようと。そうすれば、1番か2番、悪くても僅差で3位に入る。

その方法として、ハガキのほかには方法はない。選挙ハガキを大量に刷り、それを全国のあらゆる人に配って、どれだけ集められるか。『女たちの反乱』の本の中にも出てきますが、候補者自身、誰に会ってもハガキを頼む。全員でハガキを頼む。これを徹底的にやった。

(略)

あらゆる人づてを使って、あらゆるネットを使って、とにかく全国に撒いた。それを回収して、ハガキに書いてある宛先の電話番号にみんなで電話をかけた。ハガキ自体はまとめて出せますが、手間がかかるのは、返ってきたハガキにかける電話です。

(略)

いちばん効果的な選挙の武器は、事前ポスターです。


∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


日々坦々
https://twitter.com/hibi_tantan24/status/360313613837275137
山本太郎と三宅洋平の裏選対最高責任者である、斉藤まさし氏がツイキャス初登場


アルルの男
https://twitter.com/bilderberg54/status/360569436442329089
斎藤「ネット選挙というけど、最後はアナログなのよ。ネット選挙に金かけることできなかった。だけど山本太郎と三宅洋平が一番うまく利用したとは言える。しかし最後は人のつながりですよ。SNSだって個人のつながりです。全国行っても選挙できるのは一緒にボランティア選挙やった仲間が全国にいる」


アルルの男
https://twitter.com/bilderberg54/status/360565548280578048
斎藤「自前ではカンパで政治資金集められない人じゃなかったら選挙出れないよと言っている。三宅洋平には600万を集めろといった。僕のやった選挙はいつも結果的に言うと本人はお金を負担してない」
※齋藤まさしカンパ理論は要するに「クラウドファンディング」だな。


∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


《大軍といえども、指揮系統が乱れている軍隊は、乱戦になると弱い》


☆アジャンクールの戦い

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84#.E6.88.A6.E9.97.98

綿密な作戦を立てたドルー伯シャルル1世だったが、フランス軍の指揮系統は乱れていた。

フランス軍が動かないことを観たヘンリー5世はイングランド軍を動かし、午前中半ばには弓の射程距離内であるアジャンクールの最も狭い場所まで前進した。ここでイングランド軍の弓兵は杭を打ち込み、その後に敵の軽率な行動を誘うように射撃を開始した。

イングランド軍の弓兵の攻撃に対応して、フランス軍の重装騎兵が両翼から攻撃をはじめた。だが、狭隘な地形で待ち構えたイングランド軍に重装騎兵は当初の作戦の通りに回り込むことができなかった。

泥濘状態だった地面と彼ら自身の重装備は騎行速度を鈍らせ、イングランド軍の敷設した杭と降り注ぐ矢に阻まれて、ほとんどの重装騎兵は反転して逃れるしかなかった。

その結果、重装騎兵は徒歩でイングランド軍に向かう下馬騎士と歩兵の大部隊の進路を妨害し、混乱を生み出した。

フランス軍の投射兵は活用されることなく、前衛の後ろに置かれていた。

フランス軍の歩兵攻撃は無秩序かつ混乱状態にあったため、イングランド軍に損害を与えることができなかった。

下馬騎士と歩兵の大部隊は遠距離ではイングランド軍の弓兵によって消耗され、近距離では待ち構えていたイングランド軍の下馬騎士によって撃退された。

主力が敗れたことを観たフランス軍は逃走をはじめた。イングランド軍は弓兵ですらフランス軍本隊に押し寄せ、多くの貴族や騎士を捕虜にした。

戦闘は1時間ほどで大勢が決したが、フランス軍の1部隊がイングランド軍の背後に回り込んで輜重車輌を略奪したため、ヘンリー5世は降伏したフランス軍の捕虜が再び戦闘に参加しないよう処刑を命じた。その後は虐殺となり、イングランド軍の完全な勝利に終わった。



やきとりのいない八月

飛び地A

ブログ アーカイブ

The Daily Star(レバノン)

Rudaw(イラク)