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2014年5月21日水曜日

天皇・皇后両陛下が栃木県で「田中正造の直訴状」をご覧になった

☆両陛下、渡良瀬遊水地を散策=田中正造の直訴状も見学―栃木
(時事通信)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140521-00000094-jij-soci

https://web.archive.org/web/20140521090654/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140521-00000094-jij-soci

その後訪れた佐野市郷土博物館では、同市出身の田中正造が1901(明治34)年に足尾銅山の鉱毒被害を明治天皇に訴えようとした際の直訴状などを見て回った。 



《歴史メモ》

☆田中正造

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E6%AD%A3%E9%80%A0#.E8.AD.B0.E5.93.A1.E8.BE.9E.E8.81.B7_-_.E7.9B.B4.E8.A8.B4

12月10日、東京市日比谷において、帝国議会開院式から帰る途中の明治天皇に足尾鉱毒事件について直訴を行う。途中で警備の警官に取り押さえられて直訴そのものには失敗したが、東京市中は大騒ぎになり、号外も配られ、直訴状の内容は広く知れ渡った。

直訴状は、幸徳秋水が書いたものに田中が加筆修正したと伝えられる。田中は即拘束されたが、政府は単に狂人が馬車の前によろめいただけだとして不問にすることとし(田中本人の言及による)、即日釈放された。

田中は死を覚悟しており、釈放後、妻カツ宛に自分は(12月)10日に死ぬはずだったという意味の遺書を書いている。また直訴直前に迷惑がかからないようにとカツに離縁状を送っているが、カツ本人は離縁されてはいないと主張している。



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