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2014年5月27日火曜日

【グラフ多数】死亡数急増・出生数急減の年と原発稼働開始の年がなぜか連動しているのだが

☆川内原発!鹿児島県民と・下流他県民の死亡増・産児減少の因果は何か?事象Xとは? (「うがらまけじ指数」分析
http://www.asyura2.com/14/genpatu38/msg/246.html
投稿者 無知むち鞭ぃー 日時 2014 年 5 月 18 日 18:51


高知県や、熊本・宮崎・大分・長崎。福岡・佐賀の県民はなぜ、鹿児島県人の死亡・出生減少と、ある年に符節を合わせて死亡・出生減少するのか?

日本人は何百キロも離れた他県民の生死と、符節を合わせて生死をしていた。同調して死に、同調して産児を減らす!

死亡増大の年の後に、産児の大減少をもしていた。

(略)

少なくとも34年の間、鹿児島県人と高知県人とは、出生と死亡の増減で同調しているというのだ。
二・三百キロは離れているし言葉も違うはずだが・・・。

200数十万人の人口が長期に、どうして同じ年にたくさん死に、同じ年にそろってたくさん子を産み、同じ年にそろって子を減らすのか。

まったくありえないことだ、普通ならば。

福岡も熊本も、鹿児島に同調している。

(略)

 死亡者が急増した時に出生者数が急減することを、1980年代から繰り返している。(70年代の数字は電網上から出せなかったので不明だが、79・80年と死亡者数が増大した)

とくに急増するのは1985年だ。いこうグラフのとおり縦の点線の位置で死亡者数が急増・翌年出生数急減している。その年度は、

1985年度、
1988年度、
1994年度、
1998年度、
2004年度、
2007・8年度、
2010・11・12年度、
の各年度だ。

九電の原発稼働開始の年は次のとおりだ。

玄海1号 1975.01
玄海2号 1981.03
川内1号 1984.07
川内2号 1985.11
玄海3号 1994.03
玄海4号 1997.07

あの死亡数急増・出生数急減の、1985、1995、1998各年度とぴったり重なり合う。




☆ひと月死亡者2411名/川内原発の鹿児島県で、1999年1月に何が???(厚労省、死因簡単分類)
http://www.asyura2.com/14/genpatu38/msg/268.html
投稿者 無知むち鞭ぃー 日時 2014 年 5 月 20 日

鹿児島県人は、何故、1999年の1・2月に集中して死亡したのか。

死亡総数のグラフで、1999年(黄色帯に紫丸点の線)は、1・2月がダントツで、他の年をも、福島原発事故後の悪化年をも、超出ている。

福島原発事故の鹿児島での影響をも凌駕する、急激で巨大な死亡数増大のこの「事象」はいったい何だろうか。

(2005年(太青紫)3月にも、突出した死亡数の山を形成している。ここでは何があったのだろうか。)

(略)

循環器系の死亡数でも1999・1・2月は、鹿児島県で14年来の断凸最悪の月だった。

1月:814名、
2月:615名で、

今でも過去最悪記録だ。
(ネット上で公開されているのは1999年以降)

鹿児島県人はナゼ、循環器系の疾患で、この二ヶ月に集中死亡したのか。

(略)

1999年は、鹿児島呼吸器系の死因でも最悪だった。

1月644名、
2月420名で、
ずっと最多の数字だ。今でも超えられていない、と政府統計。

例年は2~300名のところを、2~3倍に悪化したのだった。ひと月に300~400人も死亡者が増えたのだから尋常じゃない。

(略)

2005年の3月にも、約100人くらい他の年を上回る「事象」があったようだ。(ここでは、2005年:黄色の3月の山)

その後ずっと最悪の月だ。1999~2013年までの次の図では、黄色帯に紫丸点印入りの線が1999年です。いかに巨大で急激な数で死亡者が、短期間に集中したことか。

様々な疾病の死亡者が800人ちかくも、このひと月二月に急増急死したとは!

なぜ突然、肺炎が流行ったのか。
なぜインフルエンザで死亡者が急増したのか。
なぜ原発事故後と同じ診断の死亡者が急増したのか。

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