https://twitter.com/aritayoshifu/status/396176162684010496
山本太郎議員の「直訴」問題。第一報を聞いて「またか」と違和感を感じた。最終的にはご本人の判断と責任だ。しかし議員に当選してから「誰か」のコントロールがあるとの印象がどうにもぬぐえない。そうでなくともそう見えてしまう。山本議員を反原発の立場から支えた知識人からも厳しい意見を聞いた。
☆飯塚盈延
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E5%A1%9A%E7%9B%88%E5%BB%B6
その後、若手の労働運動活動家として日本共産党(第二次)の派遣により、モスクワの東方勤労者共産大学(クートヴェ)に留学した(留学中の変名は「フョードロフ」)。しかし留学中共産党に幻滅し、帰国後に検挙され転向したうえで警察のスパイになったとされる。
そして松村(飯塚)はスパイとして党に潜入、非常時共産党時代の共産党で家屋資金局の責任者となり、「赤色ギャング」に代表されるさまざまな権力挑発的方針を指示した。
その後熱海事件で共産党の代表者達を一斉検挙に追いやった。
《イラクのフセインは「暴走するように誘導された」可能性もある》
☆湾岸戦争
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%BE%E5%B2%B8%E6%88%A6%E4%BA%89
同日、サッダームと会談を行ったアメリカのエイプリル・グラスピー駐イラク特命全権大使が、この問題に対しての不介入を表明したこともあり、ついにイラク軍が動いた。
《新田次郎著「武田信玄」は、二重スパイが今川義元を狭隘な地形の桶狭間に誘導して、織田信長に殺害させたとの説を採っている》
☆山本勘助
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E5%8B%98%E5%8A%A9
『武田信玄』(新田次郎)
武田晴信が倉科衆の謀反の合議に招かれた際、今川家の間者、山本勘助が潜り込んでいた。このことを晴信に見破られ、このことがもとで合議は終わった。見破られたことを義元にとがめられる形で勘助は武田家に潜り込んで武田家の間者として働く。
間者として長尾家や今川家・織田家などの情報を収集したり、禰津家の娘里見と晴信の間を取り持ったりする。
次第に今川家との距離が広がり、武田家に忠誠をつくすようになる。桶狭間の戦いでは信玄の命で簗田政綱とはかり今川義元を殺害する。