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2012年5月15日火曜日

闇の声氏「橋下徹氏に酷似した人物がドフトエフスキー作品に登場している」


593 名前:闇の声
投稿日:2012/05/14(月) 23:28:00
ドフトエフスキーの「悪霊」
だけれども、橋下は登場人物であるペトルーシャに
良く似ている・・・ニコライ・スタヴローギンが今いないだけだ。



☆悪霊 (ドストエフスキー)

http://j.mp/LKTy86

ピョートル・ステパノヴィチ・ヴェルホーヴェンスキー(ペトルーシャ)

ステパン氏の息子。自らを「政治的詐欺師」と呼び、知事夫人に取り入って文学サークルを装った革命組織を作り、スタヴローギンをその中心に祭り上げようと画策する。モデルは革命家のセルゲイ・ネチャーエフ。



ニコライ・フセヴォロドヴィチ・スタヴローギン

類い稀な美貌と並外れた知力・体力をもつ全編の主人公。徹底したニヒリストで、キリーロフ曰く「彼は自分が何も信じていないということさえ信じていない」。ピョートルの目論見を見抜いたり、キリーロフとシャートフを啓蒙したりと、主要登場人物へ影響を及ぼす。




☆セルゲイ・ネチャーエフ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%8D%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%95

モスクワ郊外のイワノヴォ村に生まれる。父は貧しい労働者、母は解放農奴の娘。6歳で母を失う。1865年モスクワに移り、一年後の1866年サンクトペテルブルクに移る。独学で教師の試験に合格し、教区立学校で教え始めた。その傍らでネチャーエフは、サンクトペテルブルク大学の聴講生となり、ピョートル・トカチョフと共に学内少数派だった急進派に属し、1868年から1869年の大学紛争に参加した。ネチャーエフは、学生運動の革命化を図り、革命運動のプログラムを立案したが、それは、最終目標として1870年に社会革命を実現するというものであった。

1869年1月に自身が逮捕されたとの偽情報を流して、スイスに亡命する。ジュネーヴでは、ペトロパヴロフスク要塞から脱獄した革命委員会の代表と僭称してバクーニンやニコライ・オガリョフに接近して信頼を得た。さらにゲルツェンの強い反対にも関わらず、両者から資金を得ることに成功し、革命を煽動する文書を作成する。その中で一番著名なものは、1869年夏に著した『革命家のカテキズム(革命家の教理問答)』である。「革命家とは予め死刑を宣告された存在である」という言葉ではじまる『革命家のカテキズム』は革命のためのプログラムであり、秘密組織を作り、破壊活動を行なうための方法を示唆する内容を有していた。その主張は、革命という「目的は手段を正当化する」という原理で貫かれ、後に「革命のマキャベリズム」、「革命のイエズス主義」と称された。

(略)

ネチャーエフはその勇気と革命運動における狂信的なまでの献身にもかかわらず、同志と組織を危険にさらすことによりロシアの革命運動に巨大な害毒をもたらしたとみなされている。しかし、後にレーニンはネチャーエフの「目的は手段を正当化」する「革命のマキャベリズム」を評価し、結果としてレーニン及びボリシェヴィキの冷酷性に大きな悪影響をもたらしたと言える。



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