「チェルノブイリ後の放射線影響による健康被害~ベラルーシ,ウクライナ,ロシア.欧州内)の4人のドイツ物理学者による論文発表」
在ドイツ邦人からの情報。
↓
論文78ページの内32ページ訳しました.2週間後にUPするつもりでしたが,日本で病気の症状が出ていますので,送らせていただきます.
後,2週間後に,続いて(癌,白血病.その他の病気などについて)UPいたします.
私は専門家ではありませんが,ドイツ人の物理学者のアドバイスを頂き,訳しました.少しでも,日本の人々に役に立てば嬉しく思います.
(チエルノブイル後の放射線影響による健康被害-ベラルーシ,ウクライナ,ロシア.欧州内)の4人のドイツ物理学者による論文発表.
(核戦争反対国際医師団体ドイツ支部に掲載)
ドイツ語
(EMI.KIYOMIZU訳.)
ソース
Gesundheitliche Folgen von Tschernobyl - IPPNW
(2006年4月.ドイツ人,4人の物理学者の論文.)
Dr.Sebastian Pflugbeil.放射線防護協会
Henrik Paulitz.IPPNW核戦争反対国際医師団体ドイツ支部
Dr. Angelika Claußen .IPPNW
Inge Schmitz-Feuerhake教授.放射線防護協会
(注:PDF)
http://www.ippnw.de/commonFiles/pdfs/Atomenergie/Gesundheitliche_Folgen_Tschernobyl.pdf
p44.
ミンスクの保健省 Vassili Kazakov から,1992年にはベラルーシの子供たちの甲状腺癌は世界の平均に比べて80倍多かったと報告されている.2001年末までにDr,Lengfelderらの報告によるとベラルーシの幼児と青年は、1,000人以上の甲状腺癌があった
2004年にDr.Okeanovの論文で,ベラルーシの子供の甲状腺癌は100倍以上増加していると発表されている.
Dr,Okeanovは成人でも、甲状腺癌が急激に上昇していると示している。
チェルノブイリ前は,ベラルーシでは成人の甲状腺癌は,まれな病気であった.
チェルノブイリの4年後,1990年以降には,甲状線癌の疾病率は世界で最高値に達した.
1980年の、甲状線癌の標準の年間発生率は30歳以上の成人においては,10万人の住民に対して,1,24%であった.
1990 には 1,96% そして 2000年には 5,67%の甲状線癌率である.
Dr.Lengfelderらは,事故時の1986年から,放射線ヨウ素で被爆した幼児,青少年,成人らの甲状線癌がもっと増加しているのを明らかにしている.
しかし、また、事故の時すでに成人していた人も、癌のリスクが劇的に増加した.
チェルノブイリ後(1986年-1998年)は,チェルノブイリ前(1973年から1985年)に比べて,50才から64才の間の年齢に、癌が5倍に増加した.
64歳以上の人で、癌は2.6倍に増加した。
p43.
ウクライナも、チェルノブイリメルトダウン後,甲状腺癌が増加した。
チェルノブイリ後、甲状腺における放射性ヨウ素の含有量の検査を11万人の子供、40,000人の大人にして,癌の登録を設置した.
1993年迄に、この登録は、子供の甲状腺癌が418件あったことを記録している。要素の内訳と地域ごとに明確に示している.
ウクライナのベラルーシとロシアでDr,M.M. Fuzik らが甲状腺疾患の広範な調査をした.
研究は、ベラルーシ、ロシア、ウクライナの癌の登録のデータに基づいている。
このデータは,チェルノブイリ事故で幼児が最高の病気率を示している.
チェルノブイリ(1982年-1986年)の前の年に生まれた子どもに比べて,チェルノブイリ事故の時,生まれた子供は数年生きる年数が少なく,チェルノブイリ後の年に生まれた子供たちは(1987年-1991年)より甲状腺癌の病気が多い.
高被爆した子供は,特に乳児と幼児が敏感で,放射性ヨウ素の影響で癌の発生が起こることが明かに示されている.
ベラルーシの子供たちの悪性癌は,早期に他の組織に移転する.
1つの甲状腺の腫瘍結節が直径 10 mm に成長する.
43%はリンパ腺に,3%は他の臓器に転移する.
Dr.Fuzikらの全ての12地域の調査で,得に強く影響したチェルノブイリ3地域、ベラルーシ、ロシア、ウクライナで,チェルノブイリ事故後,約4~5年から0才~14歳の子どもの甲状腺癌が増加した.
これらは、ウクライナの地域の,Vinnitsa, Zhytomir, Cherkassy, Chernigov , Kiev市 と前ロシアの Gomel 市, Mogilev ,ロシアの Bryansk, Kursk, Orjol ,Tula市であった.
強い影響を受けたGOMEL市で甲状腺癌が増加した.その次は Bryansk村, Orjol, Kiev 市, Kiev村,Chernigov村, Mogilev und Zhytomirであった.
p42.
アメリカ合衆国の科学者 F.A. Mettler教授は,チェルノブイリ地域の子供の甲状腺癌の組織サンプルでチェルノブイリプロジェクトの科学者が、ベラルーシ保健大臣に真実でない報告をしているの知っていた.
汚染の激しい地域GomeLで子どもたちの甲状腺疾患が増加しているのが明らかになった.
だが,この報告は無視された.
1995年11月20-23日まで,世界保健機関(WHO)はチェルノブイリ事故と他の原子力事故による健康影響に関する国際会議を開催した.
会議では,特に原子炉の大惨事後に高度に汚染された地域に住んでいる子供たちの、甲状腺癌の急激な増加の調査結果が提示された.
予想以上に,はるかに速く発生率は増加している.
WHOの専門家 Keith Baverstock は,原子炉事故で 驚くほど短い時間に癌障害の増加があり,さらに,ベラルーシの子供たちは恐ろしいほど成長する腫瘍と他の組織に広がるのを予想している.
子供の甲状腺癌における最大の増加はGOMELの汚染された地域で発生した。
すべての甲状腺癌の約50%はベラルーシのこの地域GOMELで,子供たちの間で発生している。
甲状腺癌の場合,この場所では大人も1位で,ゴメル地域では0才から18歳の子供は、1998年には年間数,58倍高くなっている.
甲状腺癌の子どもたちの大半は6歳未満で,半分以上は、4歳未満であった.
ベラルーシの子供たちの甲状腺癌の発生率(0〜14歳)は,1995年にピークに達した.
早い段階で,子供達に,急速に成長する甲状腺癌と他の臓器に転移して急速に発達する癌,得に肺癌が起こった.
p41.
東ドイツの原子力安全,放射線医学部門と放射線防護局のD. Arndtはチェルノブイリの4年後にS. Pflugbeil氏に,チェルノブイリ地域の問題は,日状生活の変化による心身(ビタミンの不足/主に家に居るだけ)が原因で,彼らは歩かないで,十分な野菜を食べないのは彼らの責任だと書いている.
専門家のこのような無知は,初期の医療援助を遅くさせた.
ソ連からの最初の甲状腺疾患の詳細な情報は,1990年の秋にBELRINで,Minskの女医 Maria Ankudowitschは,放射線被爆によって、甲状腺癌だけでなく,多くの甲状腺結節が起こり,様々な形の自己免疫性甲状腺炎と甲状腺機能低下症を誘導すると報告している.
放射線被爆した甲状腺を持つ子供のホルモン状態は,小児と青年の発達障害と機能障害のリスクを増大させる。
神経内分泌調節異常によって、下垂体疾患、副腎疾患、膵臓、乳癌および卵巣の癌が増大する可能性がある.
ベラルーシの南部地域では, 10 Grayの放射線量の被爆をした子供は5%であり.非避難区域では1Gray被爆した子供は20%である.
ベラルーシの子供たちの間で甲状腺癌は特に増加した.通常、甲状腺癌は高齢者が発生する病気である。
子ども達には,甲状腺癌は極めてまれな病気である。
ベラルーシでは,1986年まで子供の甲状線癌の年間発生率は0人-2人であった.
1989年7月から1990年の秋までに子供の甲状線癌は22件あった。
過去の経験より、思ったよりも速く,この期間に甲状線癌になるのが明らかになった.
この勇敢な医師は,続いて専門的な研究をするのが,公には困難になった.
1991年の春、IAEAは,国際チェルノブイリプロジェクトで "検査で子供達は健康であった,データーでは,事故以来、白血病や甲状腺癌の増加を示さなかった"と発表している.
p40.
6.甲状腺癌や他の甲状腺疾患
6.1.チェルノブイリ地域
ソビエト連邦保健大臣E. Tschasowは,災害2年後に,チェルノブイリ原子力発電所の事故が地域の住民の健康に影響を与えていないと確信を持って言うことができると„Prawda“(ソ連共産党の中央機関)に書いている.
数年,モスクワでは秘密にされていた.1989年3月に初めて, L.A. Ilyin教授らによりチェルノブイリの放射線汚染による健康への影響に関する最初の報告がされた.
ILYIN教授は9地域の39地区で次の30年間に158000人の子供(0-7歳)の内90人の子供が甲状腺癌になるだろうと予測している.
Ilyin教授は放射線に関する国際機関(ICRP、UNSCEAR)の中で今日もロシア代表として表明をしている.
1990年1月、ミュンヘンの放射線生物学研究所の所長Kellererは,赤十字の報告書に甲状腺機能の障害は特に問題だと書いている.
甲状腺検査はより頻繁に実行されなければならなく,又継続した検査で甲状線疾患が発見される.
医療専門家の大半は,放射線被爆をした人民は,加えて病気率が増加すると結論している.
p39.
フィンランドではチェルノブイリ放射性降下物により高い放射線で汚染された地域の住民の中で1986年の8月から12月までの出産の期間で障害が現われた.
(研究の結果,フィンランドの国民は,高い放射線降下物に被爆していた.)
J. Pohl-Rülingの研究結果でザルツブルク(オーストリア)の人々がチェルノブイリの原子炉事故の影響でリンパ球の染色体損傷があることを発表した.
リンパ球の染色体損傷をした人々はチェルノブイリの前のデータと比較して6倍に増加した.
チェルノブイリ原発事故後,スコットランドとスエ-デンはベルリン、ベラルーシのように ダウン症候群(Trisomie21)の急激な増加があった.
チェルノブイリ原発事故後,影響を受けたウクライナ、ベラルーシ,ロシアは、染色体異常の増加を証明できる。
p38.
他の国.
フィンランド、リトアニア、ポーランドの放射線セシウム137の汚染はキログラム当たり数千ベクレルである.
(5.3)他の国々.
1987年の初めに、チェルノブイリ後,雨の影響を受けたトルコ西部では、新生児の先天性欠損の発生率が高くなったと報告されている.
西部の黒海沿岸 Düzce市では,1986年に無脳の新生児10人が生まれている.
Düzce市の民間病院の主任医師 Faruk Tezerの情報では,致命的な奇形,無脳症は3人であった.
別の異常は神経組織欠損が報告されている.
フィンランドでも高い放射線汚染された地域は奇形率の増加(中枢神経系(CNS)障害と手足の奇形)が記録されている.
中枢神経系欠陥の多くのケースが,Odense市,デンマーク、ハンガリー,オーストリアでもあった.
ブルガリアの Pleven地域では,心臓の奇形、中枢神経系、複数の異常があった.
クロアチアのZagreb大学病院では,1980年から1993年の間に早産や新生児が出生後28日以内に全員死亡していた.
ここでは,チェルノブイリ後,中枢神経系異常のな増加率を示した.
フィンランドのDrL.Saxénは母親の妊娠の最初の3ヶ月間で早産が大幅に増加していると明らかにしている.
p36.
Dr.H. Scherbはバイエルン州ではチェルノブイリ事故後,放射線セシウムの土壌汚染によって,奇形が増加したことを発見した.
(1984年-1986年)に比べてチェルノブイリ原発事故後(1987年-1991年)は奇形グループの唇、顎と口蓋など先天性奇形の発生が頻繁に増加した.
Dr.ScherbとDr.Weigeltの奇形データ分析の研究から.(バイエルン州の環境省による要請)
バイエルン州はチェルノブイリ後,1986年10月から1991年12月の間に奇形児が1000人から3000人生まれたと推定できる.
土壌汚染(1 kBq/m2)で死産のリスクは0.5パーセント-2.0%であると推定できる.
セシウムCs134と137の外部放射線量(1mSv/a)の場合,死産の危険性は1.6%になる.
生殖障害に関しては(比較的高い)率であった.
p35.
ドイツの場合.
Hamburgでは,チェルノブイリの年1986年に30年間で2番目に高い,出生時体重が2500グラム未満の早産児と末育児の増加があった.
ハンブルクの上院の市会議員 Ursula Caberta y Diaz が上院の質議応答で新生児の早産による未熟児の数を発表した.
チェルノブイリの年は出生児の体重低下(未熟児)の子供は67人である.(1985年は60人であった)
東ドイツでは,チェルノブイリの放射線の影響により奇形児が増加した.
東ドイツは、16歳未満の死亡した子供は,すべて解剖される. Jena市では1986から1987までに奇形児の登録は1985年と比較して4倍になった.
東ドイツで登録された奇形児と中枢神経系障害と、口唇口蓋裂は1987年には9.4%増加した.
放射性降下物による影響を受けた3つの北の地域で、1980年と1986年と比較して最も現れた.
西ベルリンでは、1987年のベルリンでの毎年の健康診断報告で奇形児と死産児が倍増したと発表されている.
最も手と足、そして、心臓や尿道の奇形が増加した.
南バイエルン州は,高いセシウム放射性降下物の影響により,北バイエルン州に比べて1987年後半には妊娠中の女性の奇形児の率はほぼ2倍になった.
1987年の11月と12月の、バイエルンの地域のセシウム土壌汚染による奇形児率は非常に重要である.
A. Körblein と H. Küchenhoffは南部と北部のバイエルンで,7ヶ月の間,放射線セシウムの影響を受けた妊産婦の奇形児率を正確に示した.
1987年の11月と12月には最も汚染された南ドイツの24の地域での奇形児率はほぼ3倍であった.(バイエルン州の放射線の低い影響を受けた24の地域と比べて)
最も汚染された10地域は,放射線の低い影響を受けた10地域に比べて,ほぼ8倍の奇形児率である.
子供の死産の増加率は確実である.
チェルノブイリ後の幼児の奇形のデータがあるのはバイエルン州だけである.
p.34.
ドイツの場合.
精子(注:翻訳文ママ)の破壊は放射線降下物によるといえる.
(特に母親の年齢による)
ベルリンでは4月29日から5月8日までの期間に高い放射線被爆した5組の夫婦の,その子供は母親がわの原因で余分な染色体が5例,その後には6例発見された.
stellten Sperling とMikkelsenの遺伝研究で確認された.
高い放射線と染色体異常の関係は12例の内8例である.
1986年の春の環境中の高放射線量による空気や汚染された食べ物が原因である.
卵巣と甲状線の間の総合関係と卵巣に直接ヨードが集積されることも議論されている.
ドイツ政府の人体遺伝子の研究機関の全国調査で,28737人の出生前の染色体分析の分析では1986年にはTrisom21(ダウン症候群)が237例あった.高い放射線被爆をした生殖胚が原因だと考えられる.
高い放射線に汚染された南ドイツの地域では,これが頻繁にあった.
ベルリンの教授Sperlingと原子力安全協会 Pierre Verger と放射線防護研究所のRoses Cedex (フランス) の研究で母親の年齢と出生前の被爆の関係で、放射線により染色体異常(ダウン症候群)が発生することが確認された.
P33.
5.2.ドイツ連邦共和国
1987年1月、チェルノブイリ9か月後、 München市の (Dr. Klaus Waldenmeyer)の実験室で行われた新生児の遺伝子検査で,新生児の(ダウン症候群)が2-3倍になった.
Dr. Waldenmeyerの観測の結果,災害後9ヶ月間で明らかに,新生児の遺伝的変化が増加している.
ミュンヘンでは、 Trisomie 21(ダウン症候群) が6例ある.
K. Sperling はチェルノブイリ9ヶ月後、ベルリンでTrisomie 21(ダウン症候群)が急激に上昇した.
1987年1月西ベルリンでは,12人の子供がダウン症候群になった.通常は2-3人がダウン症候群である.
この期間ベルリンでは最も高い放射線量が検出されている.
K. Sperlingはダウン症候群率が1987年に高くなったことを,1994年のイギリスの医学誌に詳細なデータ分析で確認し発表した.
彼の分析は数字上,非常に正確である.
ダウン症候群になる人は1つの染色体(染色体21)が3つの内2つになる.
彼らは合計47の染色体が46になる.母親の受精によって生殖細胞が分裂減少し遺伝子が変化する.
この結果,子供は知能が減少し,典型的に外観が変化する.
又,感染症にかかりやすく,そして,心臓障害などの内部組織の奇形がおこる
p31.
1,000人の子供の出生あたり,奇形児は22.4人であった.
ほぼ10年間で倍増した。特に、無脳症の上昇率であった.(無脳症)その他は二分脊椎(開背骨)、口唇裂/口蓋裂、多指症.
手足の損傷(指や足の指の数について)などである.
Dr.Petrovaと同僚はベラルーシの中の子供の貧血や生まれた子供の先天性奇形の増加率を観察した.
チェルノブイリの9ヶ月後,1987年1月には,ベラルーシの場合は、新生児における(ダウン症候群)がより増加した.
(1981年から2001年までの観察.)
チェルノブイリ放射線降下物で1987年1月にダウン症候群の発生率の増加は,チェルノブイリ事故が原因である.
モスクワ大学と Leicester大学の研究者は,事故の時に原子炉から300キロ離れて住んでいた両親の,79家族の血液サンプルを検査した.
研究者は1994年2月から9月に生まれた子供たちの間で、驚くべきことに突然異変が倍になったのを発見した.
2歳になった子供の検査で,親の生殖細胞における遺伝子変化から遺伝するのが分った.
テキサス大学の David Hillis 教授はチェルノブイリの近くで汚染された食べ物で生きていた野鼠の検査結果で,野鼠の突然異変率は通常より10万倍高くなっている.
Dr.odlevskyはウクライナ地域のLugynyで新生児7人の先天性発育異常と疾病率を報告した.
新生児の疾病率は1985年には1,000人あたり80例,1995年には約4倍に増加した.
発達異常の絶対数は1985年は4人,1989年は17人、1992年に33人と増加した、その後、1996から11.76人に減少した.
p30.
ヨーロッパで122000人が、チェルノブイリ事故の結果として遺伝子損傷したと予想される.
(5.1)-チェルノブイリ地域.
チェルノブイリ原子力災害発生後,約一週間でウクライナでの様々な場所で住むドイツ人がドイツに戻って来た.
これらの人々の個人の染色体分析の結果,染色体損傷が驚くほど大幅に増加していた.(DNA損傷)
染色体異常は2倍になっていた.検出されたほとんどの人は毎日,ウクライナの企業で働いていた.
チェルノブイリ原発から400キロ離れたウクライナに滞在していた.
血液検査の為に,これらの人の血液サンプルを1986年5月から取られた.
Dr.Lazjukと同僚はベラルーシ地域の奇形の増加数の研究の為に5週間-12週間の胎児の調査をした.
Dr.Lazjukの1985年から1994年までの先天性奇形率の公開データで,ベラルーシの1,000人あたりの内,1985年には12.5人の奇形があった.
1994年は,1,000人の内17,7人が奇形であった.
1991年から超音波で、可能な限り早い段階で奇形を見つけることができるようになった.
超音波検査で中絶は1994年に(1551件)ある.
p29.
遺伝と奇形(奇形出産)
多数の世代にわたり,奇形で生まれた子供は短い寿命であることが,研究室で調査することができた。
チェルノブイリ事故後の人間の遺伝子損傷の観察は始まったばかりである。
ロシア科学アカデミのVavilov遺伝学研究所はチェルノブイリ災害によって引き起こされた遺伝子の損傷は下記の通りである.
基本的なデータに基づいて,ヨーロッパの集団線量の放射線による,いくつかの原因で遺伝子が損傷されるという結果がでている.
遺伝性疾患は,前のソビエト社会主義共和国の汚染された地域では,最初の世代の1200人~8300人が遺伝子損傷があると予想される.
初めの世代の遺伝的損傷される人数は合計で10%発生すると予想される.
これは、チェルノブイリ地域の汚染された地域は,合計で12000人~-83000人が遺伝的損傷があることを意味する.
北半球では,最初の世代に3300人から23000人が遺伝的損傷が発生し,長期間ではチェルノブイリ原発事故の放射線影響により遺伝的損傷は30000人~207500人が発生する.
驚いたことに,ロシアの評価より,チェルノブイリ原発事故による放射線降下量がヨーロッパでより大きいことである.
遺伝損傷の推定は,チェルノブイリ地域よりもヨーロッパの方がまだ高いと予想される.
この理由は,欧州諸国が,はるかに人口密度が高いということである.
チェルノブイリ後の,ヨーロッパの最初の世代は全体として18000人が遺伝的損傷があるとみなされる.
p28.
Dr, Scherb とDr.Weigeltのデータ分析で,1977年から1994年までの間のフィンランドの死産の動向が1987年に非常に変化したことは,重要な発見である.
スウェーデンでは約2倍の死産を記録され,ハンガリーの死産記録は,約3分の2だったと隠蔽されている.
p27.
(他の国)
Dr.Körbleinは月刊データで,ウクライナのZhytomyr地域とポーランドは1987年の初めに乳児死亡率は大幅に増加した事を発見した.
Dr.ScherbとDr.Weigeltもいくつかの国での乳児の死産率を調査した.
チェルノブイリ地域の外側は、もっとも,チェルノブイリ放射線降下物の大きな打撃を受けた。
彼らの分析によると、ドイツバイエルン州、東ドイツ、西ベルリン、デンマーク、アイスランド、ラトビア、ノルウェー、ポーランド、スウェーデン、ハンガリーの国々の乳児死産は1986年には4.6%,1987年から1992年までに8.8%,1981年-1985年に比べて1987年-1992年は大幅に増加した.
1986年から1992年迄に約3200人の死産の記録が出ている.思っていた以上の結果である.
同じ期間に,これらの国々は,平均にして年間約460人の乳児死者が増えている.
フィンランドでは、チェルノブイリ原発事故でスカンジナビアで最も汚染された国である.
フィンランドの研究では,チェルノブイリ原発事故後,放射線セシウム137の土壌汚染と高放射線の影響で,初めの4ヶ月に早産が大幅に増加している.
(Dr.ScherbとDr.Weigeltはフィンランドでの死産の研究をした.)
p26.
Alfred Körblein und Helmut Küchenhoff は1997年の論文でチエルノブイル事故後,ドイツ全国で胎児の妊娠期死亡率が増加したと発表した.
毎月の死亡率の分析で 妊娠中放射能セシウム被爆で妊娠7ヶ月後に,胎児 死亡率が増加する事を示した.
1986年の冬から1987年の冬に,汚染された動物飼料で出荷された農産物が関係している.
ドイツのNeuherbergのGSF環境と健康の国立研究センタ-のHagen Scherb と Eveline Weigelt は1987年にドイツでの妊娠期死亡率が5%増加したのを発見した.
約300人の追加の例がある.
Scherb教授とWeigelt教授の胎児の死産統計の結果を他の欧州諸国は過小評価している.
南ドイツでは、乳児死亡率は、チェルノブイリ後に高い数値を示した.
1991年にミュンヘンの環境研究所のチェルノブイリ事故の影響に関する研究で1986年4月のチェルノブイリ事故の影響でドイツの低汚染地域と高汚染地域の乳児死亡率の調査では,高汚染された南ドイツでは1986年の初夏から1986の冬までに早期新生児死亡が増加しているのを示している.
Körbleinの出生率の研究で,チェルノブイリの事故の影響で頻繁に自然流産が起きている事を明らかにした.
そして南部のバイエルン州と北部バイエルン州の出生率の違いを示した.
チェルノブイリの放射性降下物による影響で北部バイエルン州よりも 南部のバイエルン州内の出生率は1987年の2月には(予定されている出産は615人)11%減少している.
北部バイエルン州では4%だけ減少した.
Dr. Alfred Körblein (ミュンヘン環境研究所)はマインツの小児癌の研究で知られているJörg Michaelis教授より,原子力発電所地域の癌の病気の発生率が完全に異なっている事を明確にした.Michaelis教授と以前の連邦環境大臣メルケル首相は dr.Körbleinの研究を評価している.
ドイツの原子力発電所周辺の癌の病気の発生についての彼の新しい研究解析は重要な役割りをした.
p.25
Ketchum 氏は ,西ヨーロッパではチェルノブイリ事故が理由で10万から20万人が妊娠中絶しているとIAEAに情報を与えている.
チェルノブイリ地域からの医師や女性から(チェルノブイリ事故後数日から数週間で中絶した)十分な証拠があるが,誰も話さないし,正確な日付については分らない。
ICRPとNRPBの長年のメンバーDr.MOLEはチエルノブイル事故の前から流産は個人的にも社会的にも重要な問題ではなかったと延べている.
私達はDr,MOLEの評価を共有しない。私達は,チェルノブイリ原発事故の放射線被害者の妊娠中絶の驚くほど多い数を述べたい.
*4.2
(ドイツで起こったこと)
ベルリンで1986年に、乳児死亡率の異常な増加がある.
1985年に比較して、1986年にはベルリンでは,1000人の乳児出生の内,乳児死亡率は10.6%から12.5%に増加した.
*5.0.ドイツ人でない(外国人の)乳児の死亡率は,1000人について,9.6から14.3に上昇している.
生まれて最初の1週間後から,1年迄に死亡率は26%増加した.
チェルノブイリ以前には、乳児死亡率は減少していた.
1975年から1987年まで M. Schmidtと H. Ziggel und BREMENのG. Lüning物理学教授は,最初の7日間の乳児の死亡例の研究をした.
51.早期新生児死亡は1986年の春には,ドイツ全国で減少していた.
チェルノブイリ事故1か月後,変化が始まった.
南ドイツの,特にバイエルン州、バーデン·ヴュルテンベルク州は、チェルノブイリ後に高放射線が検出された地域は,北ドイツ(放射線降下量が低い)に比べてかなり多くの新生児の死亡が記録されている.
核兵器テストによる大気中の放射線放出による乳幼児死亡は十分に研究されていない.
p24.
1987年にベラルーシのゴメル地域の周産期死亡率はベラルーシの他の地域に比べて,より増加していると記録されている.
1990年代前半に,ベラルーシの中の高汚染地域Gomel市はベラルーシの他の地域に比べて約30%周産期死亡やその他の異常妊娠がより増加した.
A.Körblein氏は,高い放射性ストロンチウムの吸入は,思春期に遅い結果として表れる可能性があると確認している.
分析したところ、1987年から1998年のデータでゴメル地域では431人の新生児が死亡した.(周産期死亡率)
1987年の研究は放射性セシウムの影響に限られていた.1998年の終わりまでストロンチウムの人体に対しての影響が研究がされた.
1988年後に死亡した新生児の数は1987年の10倍である。
Körbleins氏のデ-タは,従来の放射線規定でのストロンチウムによる人体の放射線影響は、大きな過小評価をしていると説明できる.
Körbleinの研究結果は,1950年代と1960年代の地上核爆弾のテストの後の新生児周産期死亡率の変化として表れている.
(他の例.流産や妊娠中絶)
チェルノブイリ後の流産と中絶はいくつかの証拠があるが,ウクライナでは無視され,沈黙された.
ポーランドでは前の年に比べて、1986年には、大幅に子供の出産が減少した.
Trichopoulos氏はギリシャでは、チェルノブイリ後,1986年の5月,23%の妊娠中絶があったと1987年に報告している.
(ギリシャでは合計2500人が妊娠中絶した.)
p23.
(4)乳児死亡率について.
核兵器のテストの時代から,乳児死亡率は,放射線被曝に敏感だと良く知られている.
したがって,いくつかの研究でチェルノブイリの近くは高い乳児死亡率があることは驚くべきことではない.
又、遠く離れた西ヨーロッパでも乳児死亡率が表れている.
(4.1)チェルノブイリ地域
ウクライナのベラルーシの地域は,原子力災害後,1987年には、死産、早期新生児死亡,(周産期死亡率)が増えている.
Alfred Körblein氏は,放射線セシウムの影響に関係していると結論している.
1989年以降ウクライナのベラルーシは周産期死亡率が増加した.この新たな増加は妊婦のストロンチウム被爆に関係があるとしている.
ウクライナでは、 "セシウム効果" "ストロンチウム効果"が優位を占めている.
確かに1987年に,ウクライナのジトーミル、キエフ郊外、キエフ市内の3つの地域で放射線セシウムが原因で151人の新生児が周産期死亡している.
そして,1988年から1991年の間に712人の子供たちがストロンチウムの影響により死亡している.
これは,チェルノブイリ地域はセシウムとストロンチウムの影響で,863人の新生児が死亡した.(周産期死亡率)
チェルノブイリ原子炉の近くの2つの汚染された地域では、周産期死亡率やその他の異常妊娠の増加が記録されている.
p,22.
ロシアの Obninsk市の子供と比較して,チェルノブイリ原発事故救援隊員の子供は,全ての病気の種類について増加している報告がある.
(1994年~2002年までのデーター)
特に癌や白血病、先天性奇形、内分泌代謝疾患、精神性疾患および行動上の問題がある.
数年で泌尿生殖器系、神経系および感覚器官の病気の大幅な増加があった.
病気の発生率は特に1999年に高くなった.
p21.
Yarilinは、チェルノブイリ陸軍原発事故救援隊員の12種類の病気発生の変化を次の概要にまとめた.
表:原発事故救援隊員の12種類の疾患の発生率(10万人のデ-タ-から)
病気/臓器グループ 1986年 1987年 1988年 1989年 1990 1991 1992 1993
感染症と寄生虫 36人 96 197 276 325 360 388 414人
腫瘍 20 人 76 180 297 393 499 564 621人
悪性腫瘍 13人 24 40 62 85 119 159 184人
内分泌疾患 96人 335 764 1.340 2.020 2.850 3.740 4.300人
血液と血液形成組織 15 人 44 96 140 191 220 226 218 人
精神的変化 621人 9.487 1.580 2.550 3.380 3.930 4.540 4.930 人
神経系と感覚器官 232人 790 1.810 2.880 4.100 5.850 8.110 9.890 人
血行障害 183人 537 1.150 1.910 2.450 3.090 3.770 4.250 人
呼吸器系 645人 1.770人 3.730 5.630 6.390 6.950 7.010 7.110 人
消化器官 82人 487 1.270 2.350 3.210 4.200 5.290 6.100 人
泌尿生殖器 34人 112 253 424 646 903 1.180 1.410 人
皮膚と皮下組織 46人 160 365 556 686 747 756 726人
3.5
チェルノブイリ陸軍原発事故救援隊員の子供
原発事故救援隊員の子供の遺伝性組織の突然変異の異常が多数発見された.
Haifa大学の科学者は,チェルノブイリ事故救援隊員の子供とその兄弟は遺伝性組織の突然変異の異常が7倍であると証明されている.
遺伝的変化がいちじるしく,そして,子孫に継続されると明らかにされている.
特に子供は事故直後に複数の突然変異が発見された.事故から時間が過ぎるとその数は減少した.
子供の父親は検査で50から200 mSvの放射線量被爆をしていた.