☆死の灰の正体-無脳児、単眼児の出産も (院長の独り言)
http://onodekita.sblo.jp/article/54471505.html
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/903.html
岡村ヒサさんの証言
私は昭和20年当時、尾長町で産院を開業していました。41歳でした。その頃はまだ家庭分娩が多うございましたが、だんだん少なくなりまして、昭和30年頃には、皆産院に吸収されました。
何も記録は持っていませんが、奇形がたくさん出ました。当時はABCCへ、みな報告しなくてはいけないシステムになっていました。奇形が出ましても、報告するのを嫌う人もございましたので、しなかったこともあります。