南北戦争が勃発すると、ビアスは北軍に志願し、第9インディアナ歩兵連隊に加入した。ウェストバージニア方面作戦(1861年)に従軍、6月、「最初の戦い」であるフィルーピーの戦いに参加、7月のリッチ・マウンテンの戦いでは重傷を負った戦友を銃火の下救出し、その勇敢さを新聞に紹介されている。1862年2月、少尉の任官を受け、ウィリアム・ヘイズンの幕僚となり、測量技官として戦場想定地の地図の作成に当たった。
1862年4月、シャイローの戦いに参加。ここでの凄惨な体験が、後の小説や、回想記『私がシャイローで見たもの』の下地になっている。1864年6月、ケネソー・マウンテンの戦いにおいて頭に重傷を負い、夏の終わりまで療養生活を送ったが、9月には軍務に復帰した。1865年1月に除隊となった。
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死とはただ憎むべきものだ。どんな状況の戦死にだって、勇壮なものや美しいものはない。優しさも荘厳さもなく、ただ陰惨であり、それが暗にも陽にも示すものはおぞましさだけだ。(アンブローズ・ビアス) #nanboku— 南北戦争名言bot (@nanboku_bot) 2016年11月22日