1938年のクリスマス休暇に彼はスイスにスキーに行く予定をしていたが、イギリスのチェコ難民委員会の女性から、ドイツのチェコ進攻の予想とそれに対する難民の救出活動で人手が足らないという連絡を受けた。
スイス行きを取りやめてプラハに向かった彼は、成人の救出で手いっぱいで子どもの救出に手が回っていないことを知るや、イギリスにとって返し、内務省の許可を得て、イギリスで子どもたちの里親や身元引受人を探し、子どもたちをイギリスに避難させる一大キャンペーン活動を開始した。
イギリス政府が行ったドイツからのキンダートランスポートと比べて、このチェコからのものは、組織的な資金が得られず、そのため公的な機関であるかのような団体名を名乗ったり、危ないこともして、時には子どもの出生日時を偽装するようなこともして子どもたちの救出のために奔走した。
1939年3月14日から8月2日までの間に、669名の子どもたちをチェコから脱出させることに成功したが、次の9月3日に出発予定だった250名の子どもたちは出国できなかった。
映画『ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち』予告編
https://youtu.be/IBEYS79Qaaw
映画『ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち』日本版ホームページ
(注:アクセスすると音が鳴る)
http://nicholaswinton.jp/