すごくいいことを思いついた!もし他国が日本に攻めてきたら、9条教の信者を前線に送り出す。そして他国の軍隊の前に立ち、「こっちには9条があるぞ!立ち去れ!」と叫んでもらう。もし、9条の威力が本物なら、そこで戦争は終わる。世界は奇跡を目の当たりにして、人類の歴史は変わる。
— 百田尚樹 (@hyakutanaoki) 2013, 10月 6
☆新名丈夫
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%90%8D%E4%B8%88%E5%A4%AB
太平洋戦争中、1944年(昭和19年)2月23日付東京日日新聞(現・毎日新聞)一面に、「勝利か滅亡か、戦局は茲(ここ)まできた」、「竹槍では間に合わぬ、飛行機だ、海洋飛行機だ」という記事を書いたため、東條英機首相が激怒し、二等兵として陸軍に懲罰召集を受けることになった(竹槍事件)。
新名は大正年間に徴兵検査をうけたが弱視のため、兵役免除で、まだ当時は大正時代に徴兵検査を受けた世代は1人も召集されてはいなかった。新名が黒潮会(海軍省記者クラブ)の主任記者であった経過から、海軍が「大正の老兵をたった1人取るのはどういうわけか」と陸軍に抗議し、陸軍は大正時代に徴兵検査を受けた者から250人を丸亀連隊(第11師団歩兵第12連隊)に召集して辻褄を合わせた。
新名自身はかつて陸軍の従軍記者であった経歴と海軍の庇護により連隊内で特別待遇を受け、3ヶ月で召集解除になった。しかし、上述の丸亀連隊の250人は送られた硫黄島で全員が玉砕・戦死することになった。陸軍は新名を再召集しようとしたが海軍が先に国民徴用令により保護下に置き、新名の命を救った。