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2014年5月8日木曜日

自称ジャーナリストの石井孝明氏が「美味しんぼ」作者のリンチ(私刑)を呼びかけ

https://twitter.com/ishiitakaaki/status/464007599327678465



https://twitter.com/ishiitakaaki/status/464011788904714242



《歴史メモ》

☆美濃部達吉

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E6%BF%83%E9%83%A8%E9%81%94%E5%90%89#.E5.A4.A9.E7.9A.87.E6.A9.9F.E9.96.A2.E8.AA.AC.E4.BA.8B.E4.BB.B6

しかし、著書は発禁処分となり、不敬罪の疑いで検事局の取調べを受けた(ただし、起訴猶予処分となっている)。同年9月、美濃部は貴族院議員を辞職し、公職を退いたものの、翌1936年(昭和11年)には、天皇機関説の内容に憤った右翼暴漢の襲撃を受けて重傷を負った。

この暴漢小田十壮は、一審で懲役8年、控訴した二審では懲役3年の判決を受けた。これは、美濃部の供述から、右足に負傷したのは逃げた空き地の鉄条網を越えてからのことになっていたが、暴漢小田が、7発の弾丸を撃ちつくしたのはそれ以前であり、別人の可能性が出たからである。

弁護人の林逸郎、竹上半三郎は、この疑問から警護の巡査達を喚問したが証言が曖昧であったため、警視庁にも当該巡査達のピストルの取寄せを求めたが、警視庁は見つからぬと回答。さらに警視庁のピストルの台帳にも見当たらぬと回答。

やむなく帝大で美濃部の体内から摘出された弾丸と、暴漢小田が犯行に使用したピストルの弾丸の旋条痕の鑑定が行われたが、螺旋の巻き方が違うことが判明。暴漢小田に傷害の責任はなかった。

美濃部に銃傷を負わせた犯人はいまだ不明である。



☆甘粕事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%98%E7%B2%95%E4%BA%8B%E4%BB%B6

甘粕事件(あまかすじけん)は、関東大震災直後の1923年9月16日、アナキストの大杉栄と内縁の妻伊藤野枝、大杉の甥橘宗一の3名が不意に憲兵隊特高課に連行されて、憲兵隊司令部で殺害され、遺体が井戸に遺棄された事件である。被害者の名前から大杉事件ともいう。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%98%E7%B2%95%E4%BA%8B%E4%BB%B6#.E4.B8.96.E8.AB.96.E3.81.A8.E5.88.A4.E6.B1.BA

このスキャンダラスな事件については、軍法会議の内容が連日詳しく報道された。

現代とは異なり、亀戸事件・朴烈事件など大震災直後に起こった社会主義者・労働活動家・朝鮮人に対する警察や軍隊による不法拘束や虐殺についてすら世論は二つに割れていたが、甘粕に対しては、弁護士の塚崎のもとには鴨志田や本多等の下士を罰するのみで「甘粕を減刑させたら承知せぬぞ」という社会主義者からの脅迫が届いていた一方で、「甘粕は国士である」との肯定的な評価から「国賊・大杉を処断した甘粕大尉に減刑を」との署名が数十万名分も集まるなど甘粕大尉を支持する声も強かった。

また甘粕も命令を受けて行動したのみで真犯人を庇って責任を1人で被ったのであって、真相は闇の中であるという意見も根強くあった。

しかし軍法会議は事件の背後関係には立ち入らないまま、11月24日に検察求刑、最終弁論があって、12月8日、殺害を実行および命令したとして甘粕大尉を首謀者と断じて懲役10年、森曹長には同3年、命令により殺害して遺体を遺棄した本多・鴨志田の2名は命令に従ったのみとして無罪を、また見張りとして関与した平井伍長は証拠不十分により無罪と、判決を下して終了した。

甘粕に懲役十年が告げられると、傍聴人の中からは有罪が不満であるとして草履を投げる者や怒号を上げる者があって一時騒然としたが、本人らは黙して退出。

無罪となった3名は安堵の表情で退出した。

やきとりのいない八月

飛び地A

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