[タグ]戸田帯刀。札幌地区カトリック正義と平和委員会。新海雅典。レーン・宮沢事件。佐々木宏人。
☆戸田帯刀神父:終戦直後に「暗殺」 平和の殉教者に光 札幌で26日集会、新資料・証言も期待 /北海道 (毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130124-00000024-mailo-hok
http://www.asyura2.com/05ban/ban5/msg/749.html
教会関係者から「逮捕に同僚神父の密告があった」との証言も得て、10年からカトリック関連団体のミニコミ誌「福音と社会」で連載記事を書いている。
佐々木さんは「逮捕の背景にはカトリックの戦争協力など時代の暗部が見え隠れする。釈放後も憲兵に監視され、暗殺に至った可能性が高い」と指摘する。
《「北大レーン・宮沢事件」の概要》
北海道大学の学生だった宮沢弘幸は1941年12月8日、北大英語教師のハロルド・レーン(1892~1963)夫妻に樺太(現ロシア・サハリン)の海軍施設の様子などを漏らしたとして、夫妻とともに軍機保護法違反容疑で特高警察に逮捕された。「広く知られた事実で秘密ではない」と無罪を主張したが、懲役15年が確定。戦後釈放されたが、獄中で発病した肺結核のために1947年に死去した。
《調査報告書(注:PDFファイル)》
宮澤弘幸・レーン夫妻軍機保護法違反冤罪事件再考
北海道大学所蔵史料を中心に
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/43172/1/ARHUA5_006.pdf
「……特高の犠牲として、おそらく最も悲劇的であったのがレーン・宮沢事件であろう。真珠湾攻撃が報じられた1941年12月8日午前、工学部学生宮沢弘幸、外国人教師ハロルド・レーン、ポーリン・レーン夫妻が軍機保護法違反の容疑で逮捕され、宮沢、ハロルドは懲役15年、ポーリンは懲役13年の判決を受け服役した。レーン夫妻を中心にヘルマン・ヘッカー(北大予科)、太黒マチルド(小樽高商)らの外国人教師と留学生、日本人学生が『ソシエテ・ドュ・クール』(心の会)をつくり、戦時下においても人間的かつ文化的な交流を続けていた。また、
宮沢は大の旅行好きで、満州、樺太、千島方面などを旅行していた。検察は、宮沢がレーン夫妻の求めに応じ、各種軍事機密を探り提供したと決めつけた。そのひとつに挙げられた根室の海軍飛行場の存在は、31年リンドバーグの太平洋横断後の着陸地として世界中に報道されていたという。
服役中、レーン夫妻は在米日本人と交換に43年9月に釈放・送還されたが、宮沢は獄中で衰弱し、戦後に釈放されたが、間もなく帰らぬ人となった。」(54頁)
☆チャールズ・リンドバーグ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B0
リンドバーグ夫妻は1931年に、北太平洋航路調査のためニューヨークからカナダ、アラスカを経て中華民国までロッキードの水上機シリウス号で飛行した。途中8月23日には日本の国後島、8月24日には根室市、26日に霞ヶ浦、その後大阪、福岡を経て、中華民国の南京・漢口まで飛行した。妻のアン・モローはこの記録を『NORTH TO THE ORIENT 』(邦訳として『翼よ、北に』みすず書房,2001年がある)として上梓した。