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2013年1月5日土曜日

〔派遣社員〕3月に大量の「雇い止め」が発生するおそれ(ただし原発の仕事はある)


見留洋子(KDDIエボルバユニオンの委員長)
https://twitter.com/EtobicokeYm/status/286849889047035906
4月から施行される「有期で5年超働けば無期雇用」改正労働法を正しく理解していない経営者は想像以上に多く、5年以上勤務している有期社員を3月に大量に雇止めする。今回の改正法は、今までの勤務年数はカウントされないのに「取りあえず切る」という考えだ。有期はどこまでも不利だ!


三宅雪子(生活の党。一試合完全燃焼)
https://twitter.com/miyake_yukiko35/status/287314563131654144
改正労働契約法
http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/keiyaku/kaisei/
は今年の4月施行だ。この法律を誤解をした企業経営者による3月「雇止め」(の可能性)について懸念のツイートを見たのでさきほどリツイートした。(委員会で私はこれまで勤めた期限がカウントされないことについて問題提起した)



三宅雪子(生活の党。一試合完全燃焼)
https://twitter.com/miyake_yukiko35/status/287316352887312386
せっかくそれまで勤めた期間がカウントされないことを私は残念だと思ったが、4月の施行にあたり、それが誤解され「雇止め」が起きる(可能性)についてはさらに心配だ。この件については周知徹底の努力を党としても促していきたい。昨日、他党議員ともこの件で意見交換した。




《失業した男性派遣社員の一部は「原発作業員」に転身させられると思う》

h_hund
https://twitter.com/h_hund/status/286784279927738368
生活保護の相談に行ったかたに対して、「原発の仕事あるでしょ」と。北海道の某職員。
https://twitter.com/h_hund/status/286784279927738368/photo/1



☆『救いの手はどこに~生活保護の今・1』
(2013年1月3日付・北海道新聞より引用)

http://blog.livedoor.jp/quaboss_nan_phoone/archives/6842743.html

あのころ…昨年4月。男性の財布に現金はほとんどなかった。建設会社の期間雇用作業員だったが、2011年春に雇い止めに。地元企業数十社に履歴書を送り、3社の面接は受けたが、採用してもらえなかった。

蓄えは底をつき、食事は一日菓子パン一個。一年で10kgやせた。アパートの家賃も払えず、家主は退去を求めてきた。行き倒れも覚悟したある日、気が付くと市役所に向かって歩いていた。最後の助けを求めるために。

だが、生活保護の窓口で、見ず知らずの職員に怒鳴られた。
「あんたのような若い人が来るところじゃない」

頼れる親族も友人もない。仕方なく翌日、再び窓口に行った。今度は別の職員が言った。
「福島に行けば、原発作業員の仕事があるでしょ。生活保護が無くても生きていける」



NHK首都圏ニュース(2012年12月7日)
https://twitter.com/nhk_shutoken/status/277014757658202112
【ニュース】受付窓口での不当な要求や暴力に対応する訓練が、東京の目黒区役所で行われました。生活保護の申請が認められなかったことに腹を立てた男が、刃物を持って暴れたという想定の訓練では、職員らが連携して警察に通報し、駆けつけた警察官が取り押さえました。



☆佐渡金山

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E6%B8%A1%E9%87%91%E5%B1%B1

江戸時代後期には江戸から約1,800人の無宿人(浮浪者)・罪人が強制連行され過酷な労働を強いられたが、これは見せしめの意味合いが強かったと言われる。無宿人は主に水替人足の補充に充てられたが、これは海抜下に坑道を伸ばしたため、大量の湧き水で開発がままならなくなっていたという金山側の事情もある。




☆金子堅太郎

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%AD%90%E5%A0%85%E5%A4%AA%E9%83%8E

この頃、北海道視察の後に開拓に関する建白書を政府に建議。建白書では、網走集治監(網走刑務所)の囚人(思想犯多数)を開拓や道路建設に従事させるように提案した。


http://www.tokachi.pref.hokkaido.jp/d-archive/sityousonsi/makubetsu_koutuu_kankou.html

囚徒ヲ従事セシメントス

北海道で囚人を労働力として使い始めたのは古く、これが本格化したのは明治30年代である。樺戸集治監の創設者である月形潔(つきがた・きよし)は、伊藤参議(博文)の命で明治18年7月から9月にかけて北海道三県巡視中の太政官大書記官金子堅太郎に、囚人を使うことを提案した。金子は 「北海道三県巡視復命書」の中で、道路開鑿について次のように述べている。

集治監ノ囚徒ヲ道路開鑿ノ事業二使役スル事

 道路線既二定マリ、測量完ク成り、開墾費用ノ予算編成ヲ告グルニ至ラバ、速カニ之レニ着手スルヲ要ス。今此開鑿二着手スルニ方リ、線路中、或ハ10数里ノ密林ヲ伐採セザルベカラザルモノアリ。或ハ険岨ノ山嶺ヲ平坦ナラシメザルベカラザルモノアリ。或ハ、谷地ノ排水セザルベカラザルモノアラン。然ルニ、此等困難ノ役二充ルニ通常ノ工夫ヲ用ヰバ、一ハ其労役二堪へザルト、一ハ賃銭ノ割合非常二高キトノ情況アルガ故ニ、札幌及ビ根室二県下二在ル集治監ノ囚徒ヲシテ之レニ従事セシメントス。彼等ハ、固ヨリ暴戻(ぼうれい)の悪徒ナレバ、其苦役二堪へズ斃死スルモ、尋常ノ工夫ガ妻子ヲ遺シテ骨ヲ山野二埋ムルノ惨状卜異ナリ、又今日ノ如ク、重罪犯人多クシテ、徒ラニ国庫支出ノ監獄費ヲ増加スルノ際ナレバ、囚徒ヲシテ、是等必要ノ工事二服従セシメ、若シ之ニ堪へズ斃レ死シテ、其人員ヲ減少スルハ、監獄費支出ノ困難ヲ告グル今日二於テ、萬己ムヲ得ザル政略ナリ。又尋常ノ工夫ヲ使役スルト、囚徒ヲ使役スルト、其賃銭ノ比較ヲ挙レバ、北海道二於テ、尋常ノ工夫ハ、概シテ一日ノ賃銭四拾銭ヨリ下ラズ。囚徒ハ、僅二一日金拾八銭ノ賃銭ヲ得ルモノナリ。然ラバ則チ、囚徒ヲ使役スルトキニハ、此開築費用中、工夫ノ賃銭二於テ、過半数以上ノ減額ヲ見ルナラン。是レ実ニ、一挙両全ノ策卜云フベキナリ。(後略)


金子は、北海道の土地は湿地が多いので、道路を開くと同時に排水路の開鑿も囚徒にやらすべきである、と述べている。囚人が、どのように取り扱われたかは、この復命書から想像できると思う。仮定県道南北線、通称「大津道路」に就労した囚人たちも例外とはならなかった。



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