このブログを検索

2012年12月5日水曜日

〔未来の党〕飯田哲也・代表代行が「足利義昭」化してきた


☆未来、早くも主導権争い=飯田代行VS小沢氏系
(時事通信)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121205-00000135-jij-pol

http://www.webcitation.org/6CgJIqDVs

未来は、小沢氏ら一部を除いて小選挙区の候補者を比例にも重複立候補させたが、未来関係者によると、当初作成した比例名簿は、前職と参院からのくら替え組を上位で優遇していた。

(略)

これに対し、自らも新人として出馬した飯田氏は4日朝の時点で、前職も新人も公平に扱い、一律で1位とするよう要求。

(略)

一方、旧生活の幹部は飯田氏に対し「自分のことしか考えていない」などと不快感を示している。




☆足利義昭

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E7%BE%A9%E6%98%AD

義昭は当初は信長を信用していたようで、将軍就任直後の10月24日に信長に対して宛てた感状で、「御父織田弾正忠(信長)殿」と宛て名して以後の幕府への協力も求めた。

(略)
信長の専横に不満を持った義昭は、自らに対する信長の影響力を相対化しようと、元亀2年(1571年)頃から上杉輝虎(謙信)や毛利輝元、本願寺顕如や甲斐の武田信玄、六角義賢らに御内書を下しはじめた。これは一般に信長包囲網と呼ばれている。



やきとりのいない八月

飛び地A

ブログ アーカイブ

The Daily Star(レバノン)

Rudaw(イラク)