このブログを検索

2012年5月17日木曜日

〔メモ〕大地震に乗じて行われた政変「平禅門の乱(平頼綱の乱)」


☆鎌倉大地震

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%8C%E5%80%89%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E9%9C%87

1293年4月12日、関東地方で地震が発生。建長寺を代表として多数の寺社仏閣が倒壊し、多数の死者が発生した。鎌倉大日記では、翌日にも余震と思われる地震の記述が残されており、建造物の倒壊のほか多数の土砂災害などが発生、23,024人もの死者が発生したとされている。また、この震災による混乱を利用し、鎌倉幕府執権北条貞時は、当時幕府内で専横を振るっていた平頼綱(杲円)邸への襲撃を命令し、頼綱父子の討伐に成功した(平禅門の乱)。




☆平禅門の乱

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E7%A6%85%E9%96%80%E3%81%AE%E4%B9%B1

貞時は、自身の乳母父でもある頼綱に支えられて自らを頂点とする得宗専制体制を敷いたが、頼綱の権勢に不安を抱くようになる。ついに永仁元年(1293年)、鎌倉大地震の混乱に乗じて鎌倉・経師ヶ谷の頼綱邸への襲撃を命じ、頼綱は自害し、その子飯沼助宗も討たれ、炎の中で一族93名が死亡した。混乱の中で貞時の娘2人も死亡している。霜月騒動の影響の甚大さに対し、頼綱の滅亡はあっけなく終わった。


【送料無料】日本の歴史(7)改版
【送料無料】日本の歴史(7)改版
価格:1,300円(税込、送料別)

やきとりのいない八月

飛び地A

ブログ アーカイブ

The Daily Star(レバノン)

Rudaw(イラク)