☆「現職議員の受け入れもある」--橋下徹の妙手に浮き足立つ民主党「離党予備軍」の軽薄さ (現代ビジネス)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32537
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32537?page=2
「維新への期待感は坂道を転げ落ちる雪だるまのように膨れあがっていくのではないか。橋下はいろいろ問題があっても、実に良いタイミング、たとえば原発の再稼働、消費増税などで強いメッセージを発信して耳目を集めている。これが続いて、来年になったらどうなるのか。今なら50議席でも、100議席を超えるかもしれない」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32537?page=3
《おまけ》
☆武田勝頼
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E5%8B%9D%E9%A0%BC
これらの侵攻に対して武田軍では組織的な抵抗ができなかった。勝頼の叔父・信廉は在城する対織田・徳川防戦の要であった大島城を捨て甲斐に敗走し、信濃伊那城においては織田軍が迫ってくると城主・下条信氏が家老によって追放され、織田軍を自ら迎え入れてしまった。
信濃松尾城主の小笠原信嶺、駿河田中城主の依田信蕃らも織田・徳川連合軍の侵攻を前に戦わずして降伏する。
さらに武田一族の重鎮である穴山信君までも勝頼を見限り、徳川家康を介して織田信長に服属を誓った。これにより武田氏に属する国人衆は大きく動揺する。
この情報に接した武田軍の将兵は人間不信を起こし、疑心暗鬼に苛まれた将兵は勝頼を見捨て、隙を見ては次々と逃げ出したのである。
唯一、抵抗らしい抵抗を見せたのは勝頼の弟である仁科盛信が籠城する高遠城だけであった。また母の実家である諏訪家の一門諏訪頼豊は「勝頼から冷遇されていた」と言われているにも関わらず、武田征伐に乗じて諏訪家再興をしようとする家臣の意見を聞かずに鳥居峠の戦いで戦死している。
