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2014年10月17日金曜日

【沖縄県知事選】時系列まとめ:翁長雄志候補は「(辺野古の)工法変更の申請の不承認」も公約しない模様

10月8日
https://twitter.com/okiouck/status/519776367034920960
明日「埋立工法変更」の不承認を仲井真知事に求めるデモが行なわれる。ところで、翁長氏は出馬会見の時、工法変更が申請された場合の対処として「承認しない」と言わず曖昧に答えた。これは大変重要な問題なので翁長氏にYESかNOか迫る必要がある。

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10・9辺野古への基地建設を許さない防衛省抗議行動へ

●日時:10月9日(木)午後6時30分~

●場所:防衛省正門前(東京都新宿区市谷本村町5-1)
JR・地下鉄「市ヶ谷」駅または「四ツ谷」駅から10分

●呼びかけ:
辺野古への基地建設を許さない実行委員会
沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック


 日本政府による、沖縄県民の大多数の反対世論を踏みにじっての辺野古新基地建設の強行への県民の怒りの声は日ごとに高まっています。8月23日、9月20日の集会は怒りに燃えた県民が大結集しました。沖縄県民は決してあきらめても、絶望してもいません。

 日本政府=沖縄防衛局は、さる9月3日に、8月18日のボーリング(海底掘削)調査の強行に続き、不当にも沖縄県に辺野古埋め立て工法の設計変更申請を提出した。仮設道路の追加整備、埋め立て工事の際の通路となる中仕切り護岸の追加、埋立て土砂搬入方法の変更を画策しているのです。

 これらの申請は、辺野古への基地建設に反対している稲嶺名護市長が辺野古埋立てに関する自冶体権限を行使できなくする工法への変更です。

 日本政府=沖縄防衛局は11月の知事選で「工法の設計変更申請」が争点にならないように、10月中に県知事に承認を迫っています。

 去る9月17日に菅官房長官が訪沖に際し「普天間の危険除去を進め、固定化は絶対避けなければならない。埋立ては安全確保を徹底の上、粛々と進めたい」と述べました。たとえ県民が反対しても強行するとの一方的な通告です。また、安全確保を名目に、埋立てに反対・抗議する県民を警察、海上保安庁を総動員して弾圧する不当な沖縄への干渉と抑圧です。さらに、知事選に出馬する翁長那覇市長が埋立て承認申請の撤回を表明していることについても、「日本は法治国家だ。埋立て承認を得たので粛々と取り組んでいく」として、知事選で示される県民の民意は無視すると云い放ったも同然。許せない発言です。

 私たちは、日本政府が力ずくで基地建設に反対する県民の声を押しつぶし、基地建設を強行しようとするこの暴挙を絶対に許せません。

 こうした中で、来る10月9日、沖縄・那覇市での県庁包囲行動は、知事に対する埋立て工法の設計変更申請の不承認を求める行動として行われます。

 私たちは、この沖縄の行動と連帯して、防衛省に対して辺野古への基地建設を許さない怒りの声を突き付けていく抗議行動を行います。


辺野古への基地建設を許さない実行委員会
http://www.jca.apc.org/HHK/NoNewBases/NNBJ.html


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《10月14日の国会で》 

☆再度変更申請も 防衛省、辺野古工事で
(琉球新報)

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-233140-storytopic-3.html

https://web.archive.org/web/20141016210438/http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-233140-storytopic-3.html

防衛省の中島明彦地方協力局長は14日の衆院安全保障委員会で、米軍普天間飛行場の辺野古移設に向け県に提出した埋め立て工事の工法の一部変更申請に関し「工事促進に資する工法への変更、環境保全の観点などから変更を申請することはあり得る」と述べ、今後も変更申請を出す可能性を示唆した。

(略)

中島局長は「他の埋め立て工事でも一般的に行われている」と説明。米軍岩国基地(山口県)の滑走路沖合移設事業では1999~2008年に護岸の位置変更など計8回設計変更を同県に申請したと説明した。

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《10月16日の夕方の翁長雄志候補の発言》

IWJの翁長氏のインタビューを聞いたが、やはり埋立撤回は選択肢止まり。また、岩国建設では8回工法変更申請が出たと自ら話し、今辺野古で出てる工法変更申請を承認しなければ建設は難しくなると述べた為、工法変更申請は「不承認」と明言するのかと思ったが、アセスを厳しくすると述べただけだった
https://twitter.com/okiouck/status/522683199311212544




《歴史メモ~踊らされ、倒幕のための捨て駒にされた相楽総三》

☆赤報隊

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%A0%B1%E9%9A%8A#.E7.B5.8C.E9.81.8E 

相楽総三は、薩摩藩邸の浪士隊の総裁として、下野や相模、江戸市内において旧幕府軍に対する挑発的行為として工作活動などを行い、これが戊辰戦争の最初の戦いである鳥羽・伏見の戦いのきっかけにもなった。

赤報隊は新政府の許可を得て、東山道軍の先鋒として、各地で「年貢半減」を宣伝しながら、世直し一揆などで旧幕府に対して反発する民衆の支持を得た。しかし、新政府は「官軍之御印」を出さず、文書で証拠を残さないようにした。

そして、新政府は財政的に年貢半減の実現は困難であるとして密かに取消し、年貢半減は相楽らが勝手に触れ回ったことであるとして、公家の高松実村を盟主としていた高松隊とともに偽官軍の烙印(同年2月10日付け「回章」)を押した。



☆相楽総三

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E6%A5%BD%E7%B7%8F%E4%B8%89#.E7.94.9F.E6.B6.AF

慶応4年(1868年)1月、戊辰戦争が勃発すると赤報隊を組織して東山道軍先鋒として活躍。

新政府軍に年貢半減令の建白書を提出して認められたため、同令を掲げて京都から江戸を目指して進軍するが、新政府軍の方針変更によって赤報隊が偽官軍とされ、相楽は下諏訪宿で捕縛される。

手を下したのは官軍参謀、進藤帯刀である。

同年3月、下諏訪で処刑。享年30。

やきとりのいない八月

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