https://twitter.com/kinashoukichi/status/520201845524803587
辺野古埋め立て承認の取り消し・撤回を公約に盛り込むように翁長氏に要請しましたが、その返答は飲めないというものでした。とても残念であり、これは沖縄の悲劇です。私は苦渋の思いで出馬を決断します。
☆沖縄知事選:翁長氏が事務所開き
(沖縄タイムス。9月17日)
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=83354
https://web.archive.org/web/20141012235240/http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=83354
選対本部長の金秀グループ会長の呉屋守将氏も「(埋め立て承認で)ウチナーンチュを裏切った人に終止符を打とう」と呼び掛けた。
《資料:金秀建設はキャンプシュワブ内での建設を落札しているようだ》
(注:PDF)
http://www.mod.go.jp/rdb/okinawa/01nyusatsu/kensetsu/kekka/h23nyusatu-kouji/198.pdf
《三国志演義より「苦肉の計」》
☆苦肉計
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A6%E8%82%89%E8%A8%88#.E3.83.95.E3.82.A3.E3.82.AF.E3.82.B7.E3.83.A7.E3.83.B3.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E4.BA.8B.E4.BE.8B
赤壁に布陣した連合軍に対し、曹操軍は3倍という兵数であった。周瑜配下の黄蓋はこの劣勢を前に有力な対抗案を出せないとして司令官である周瑜を罵倒、これを咎めた周瑜は兵卒の面前で彼を鞭打ちの刑に処した。
これにより重傷を負った黄蓋は、敵である曹操軍に投降を申し出る。一連の出来事は間者が報告していたため、曹操はこれを受け入れて一旦自軍へ招く。
しかし黄蓋の書面を見て策を看破し、「私を苦肉の計で騙そうというのか」と言うが、孫権軍の使者であるカン沢が曹操を丸め込んで黄蓋の投降を成功させる。
こうして偽装投降に成功した黄蓋は曹操軍に放火することに成功し、曹操軍は壊滅する。こうして劉備・孫権連合軍は曹操軍の撃退に成功した。
☆黄蓋
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E8%93%8B#.E4.B8.89.E5.9B.BD.E5.BF.97.E6.BC.94.E7.BE.A9
まず、偽りの投降を曹操に信用させるため、降将である蔡和・蔡仲を含む諸将の前で周瑜との不和を演じ、また周瑜から棒叩きの刑を受けている。
次に、黄蓋の計画を見抜きこれに同心することを申し出た闞沢を使者とし、曹操に対し偽りの書簡を送り、先鋒となる自分が時期を計って裏切る旨を伝えさせている。
その際に孫軍に潜んでいた間者が、曹操にこれを報告したため、曹操は黄蓋の投降が偽りではなく、周瑜に対する不満によるものと信じることになる。
自らを傷つけることで敵を偽って信用させ、起死回生の策を行なったこの黄蓋の行為が、苦肉の策の語源となった。
黄蓋はカン沢や甘寧と共に準備を整え、合戦が始まると投降を装って曹操軍に近づき、自軍の軍船に積んだ薪や油に火を放って、曹操軍の船団に突入させている。ホウ統の連環の計によって船同士を鎖で繋いでいた曹操軍は、忽ち炎に包まれ大打撃を被ることとなるのである。