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高田 利種(たかだ としたね、1895年1月15日 - 1987年10月25日)は、日本海軍の軍人。海兵45期、海大28期。最終階級は海軍少将。
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対米強硬派の一員として、石川信吾同局第2課長らと共に海事国防政策委員会第一委員会(第一委員会)に加わり、1941年6月に対米開戦を想定した報告書「現情勢下ニ於テ帝国海軍ノ執ルベキ態度」を取り纏めた。
作成された報告書の内容は、海軍部内の姿勢を煽るような内容となっていた。
作成者である高田の証言によると海軍としては戦争を避けたいと考えていたが、それでは陸軍や国民に海軍は弱腰だと非難を浴びる。そこで日米関係を煽る内容の報告書を作成することで、海軍の面目を保ち、さらに臨時軍事費(予算)を獲得しつつ、後に米国と妥結するという筋書きのもと作成したという。
しかし、報告書が作成された時期は、日米交渉も終盤にあり、アメリカでも1941年7月21日には日本本土に対する先制攻撃作戦案(J.B.No.355)が裁可されるなど関係が極度に悪化していた。
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軍令部OBを中心に開催されていた海軍反省会において第一委員会の責任が問われ、高田も昭和57年12月22日に開かれた第37回反省会に招かれた。高田は「海軍部内で戦争に賛成したか反対したかこういうことももう忘れました」、「日本海軍に日米戦争をやれば絶対に勝つと思っている人があったかなかったか私にはわかりません」とコメントし、以後は反省会に出席することはなかった。