(朝鮮日報日本語版)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140628-00000766-chosun-kr
https://web.archive.org/web/20140629050328/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140628-00000766-chosun-kr
中国の習近平国家主席が来月、国賓として訪韓する。これは1995年の江沢民元主席、2005年と08年の胡錦濤前主席の訪韓に続き、中国の国家主席としては4回目の国賓訪問になる。
☆習近平氏来韓へ、財界関係者200人同行
(朝鮮日報日本語版)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140628-00000764-chosun-kr&pos=3
https://web.archive.org/web/20140629050553/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140628-00000764-chosun-kr&pos=3
習主席の来韓にはおよそ200人の財界関係者も同行し、その中には中国銀行の田国立・会長、中国南方航空の司献民・会長、重慶鋼鉄の劉加才・会長、TCLグループの韓方明・副会長らが名を連ねていることが分かった。
《歴史メモ~関ヶ原で軍事衝突する以前の外交戦で東軍は西軍に圧勝していた》
☆関ヶ原の戦い
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E3%83%B6%E5%8E%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84#.E5.89.8D.E5.93.A8.E6.88.A6
小山評定を終え、東軍諸大名が清洲城を目指し西進を開始した後も、家康は動向が不明な背後の佐竹義宣に対する危険から江戸に留まり、藤堂高虎や黒田長政らを使って諸将に書状を送り続け、豊臣恩顧の武将の東軍繋ぎ止めと、西軍の調略による切り崩しを図った。
黒田は吉川広家に毛利家所領の安堵を、小早川秀秋に、高台院への忠節を説いて内応を約束させる。
江戸城内で家康が東軍諸大名などに宛てた書状は約200通にも及び、家康の書状による情報処理は、その後の戦いの雌雄を決定付けることになる。
一方、三成が西軍諸大名に宛てた書状は家康のそれよりも少なく、真田昌幸からは「なぜ挙兵前に(挙兵の意思を)知らせなかったのか」と、返書で疑問にされている。