(共同通信)
http://www.47news.jp/CN/201403/CN2014031501001803.html
消息を絶った後、7時間近く飛行を続けていた可能性もあり、ハイジャックなどの犯罪行為があった疑いが浮上した。
《備考》
☆エチオピア航空961便ハイジャック墜落事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%81%E3%82%AA%E3%83%94%E3%82%A2%E8%88%AA%E7%A9%BA961%E4%BE%BF%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E4%BB%B6
エチオピア航空961便ハイジャック墜落事件(Ethiopian Airlines Flight 961)とは1996年に発生したハイジャック事件である。
犯人の意図は不明であるが、ハイジャックした機では不可能なオーストラリア行きを要求したため、燃料切れで海上に墜落する惨事となった。
1996年11月23日、エチオピア・アディスアベバ発コートジボワール・アビジャン行きとして運航中のエチオピア航空961便(ボーイング767-200ER、機体記号ET-AIZ)が離陸から45分後に「爆弾(と称するもの)」を持った3名の犯人によってハイジャックされた。機長は今回で3回目のハイジャックの経験であった。
犯人はオーストラリア行きを要求したが、当該機はケニア・ナイロビなどを経由する予定であったため、オーストラリアまで行くために必要な量の燃料を搭載していなかった。
犯人らはボーイング767の最大航続距離ならばオーストラリアまで行けると主張し、燃料を搭載していないという機長の意見を嘘と決め付けた。機長はナイロビに燃料補給のために着陸するのを犯人らに拒否されたため、不可能なインド洋の横断に挑まざるを得なくなった。
(略)
事件後、犯人らの目的が何だったのかについて調査されたが、政治的な動機や何らかの組織との繋がりなども一切見出すことはできず、犯人自身も死亡したためオーストラリアに向かおうとした目的は永遠の謎となった。ただ、機長と犯人の会話で犯人が秘密警察に拘束され拷問を受けていた・オーストラリアに支援者がいると話していたとの情報もあり、オーストラリアへ亡命しようとした説が有力である。
☆キャセイ・パシフィック航空機ハイジャック事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%B7%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E4%BA%8B%E4%BB%B6
キャセイ・パシフィック航空機ハイジャック事件(Cathay Pacific Airways Aircraft of hijacking)とは、1948年7月16日にポルトガル領マカオからイギリス領香港に向かったキャセイパシフィック航空機で発生した民間航空機乗っ取り(ハイジャック)事件。アジア地域で最初に発生したハイジャック事件である。また結果的にハイジャック機が犯人の過失により墜落する最悪の結末を迎えた。
キャセイ・パシフィック航空は第二次世界大戦後、イギリス領香港で創業した航空会社であるが、その当時運航していた路線のひとつにイギリス領香港とポルトガル領マカオ(いずれも当時)という短距離であったがコンソリデーテッド・エアクラフト・カタリナ型双発水陸両用旅客機を使用した国際線があった。1948年7月16日にマカオを出発した当該機、「ミス・マカオ号」は10分後の現地時間6時過ぎに中華民国の広東省珠江河口付近に墜落した。
この墜落によりウォン・ユ・マンという男が奇跡的に救助されたが、そのほかの乗員乗客25名は犠牲になった。当初は飛行機の不具合による墜落と考えられていたが機体を調べると機内で発砲したと判断される多数の弾痕が発見された。この事件について捜査当局はウォンの入院してる病院に患者に見せかけた囮捜査官を送り込みウォンの身辺を捜査した。その結果この被害者を装ったただ1人の生存者であるウォンこそが実はハイジャック犯4名のうちの1人であったことを囮捜査官は聞き出すことに成功した。
犯人のウォンは山賊団の首領であり当初は乗客を人質に身代金を奪う目的でハイジャックしようとした。しかし飛行機を奪取しようとコックピットに押し入り機長と副操縦士を相手にもみ合っているうちに誤って機長と副操縦士を射殺してしまい、何とかしようとして操縦桿をあわてて引いてしまい墜落させてしまったというものであった。
なおこのウォンはその後に国籍を有していた中華民国当局に身柄を引き渡された。