このブログを検索

2013年5月7日火曜日

【祭政一致】維新の会に「幸福の科学」がガッチリ食い込んだ可能性


☆「橋下維新」に公明・創価学会が嫌悪感
(月刊FACTA)

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130507-00000000-facta-pol

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130507-00000001-facta-pol

http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/783.html

先の衆院選で幸福の科学の信者や幸福実現党の候補者が維新の公認を受けて議席を得たのではないかとの噂が絶えない。

(略)

「他にもいるし、まだ増えそうです。維新は参院選では3千万円もの選挙費用の自己負担を求めているので候補者が集まらない。幸福実現党が松井一郎幹事長らのところへ持参金付きで話を持ち込んでいるらしいですよ。松井さんだけでなくて東軍(旧太陽系)も受けているようですがね……」




《おまけ》

☆法華一揆

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E4%B8%80%E6%8F%86

7月、天台宗比叡山の僧兵集団が「法華一揆」撃滅へと乗り出した。延暦寺(山門)全山の大衆が集合して京都洛中洛外の日蓮宗寺院二十一本山に対して延暦寺の末寺になるように迫った(当時、有力寺院が周囲の他宗派の中小寺院に対して現在の宗派のままでの存続を許す代わりに上納金を納めさせて支配下に置き、末寺化していた)。

だが、これを拒否されると、延暦寺は後奈良天皇や幕府に法華宗討伐の許可を求める一方で、越前の大名・朝倉孝景を始め、敵対していた園城寺・東寺・興福寺・本願寺などの協力を求めた。いずれも援軍は断ったが、支持や中立を取り付けることには成功した。さらに近江の大名・六角定頼の援軍を得て、約6万の衆徒で京都市中に押し寄せ、京都洛中洛外の日蓮宗寺院二十一本山はことごとく焼き払われた(天文法華の乱)。更にその火が大火を招き、京都は延焼面積では応仁の乱に勝る被害を受けたとも言う。

こうして隆盛を誇った日蓮教団は壊滅し、宗徒は洛外に追放された。以後6年間、京都においては日蓮宗は禁教となった。1542年(天文11年)に京都帰還を許す再勅許が下り、後に日蓮宗寺院十五本山が再建された。



やきとりのいない八月

飛び地A

ブログ アーカイブ

The Daily Star(レバノン)

Rudaw(イラク)