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2013年5月7日火曜日

【安倍政権は崩壊する】日本政府答弁書「東京大空襲は人道主義に合致しない」


※ これにより、おそらく参院選までに、安倍政権のスキャンダルが都合良くいくつも浮上してくるであろうから、安倍政権の崩壊はもはや時間の問題となった。

           ↓


☆東京大空襲で答弁書 「人道主義に合致せず」 (共同通信)

http://www.47news.jp/CN/201305/CN2013050701001318.html

政府は7日、米軍による焼夷弾の無差別投下で多数の犠牲者を出した1945年3月の東京大空襲について「国際法の根底にある基本思想の一つたる人道主義に合致しない」と強調した答弁書を閣議決定した。

安倍政権として、東京大空襲をめぐる歴史認識を示した。対日戦争を反ファシズムの戦いと位置づけてきた米側の反応が注目されそうだ。



《備考》

☆カーチス・ルメイ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%A4

この時ルメイが考案した日本本土爆撃の主なポイントは、次の4点である。


高高度からの爆撃をやめ、低空(1,800メートル以下)からの爆撃とする。

爆弾は焼夷弾のみとし、最大搭載とする。

搭載燃料を最小限とし、防御用の銃座は外す。

攻撃は夜間とする。


さらに、日本の「木と紙でできた家屋」を効率良く破壊延焼する専用焼夷弾を開発した。

またルメイの「低く飛べ」と言う命令に兵士が「(対空砲で)撃墜されます」と言うと、ルメイは葉巻を真っ二つに噛み千切り、「なんでもいいから低く飛ぶんだ」と怒鳴ったという。

このルメイの焦土化作戦は、東京大空襲をはじめ大成功をおさめた。日本本土における対空砲をはじめとする防空網が貧弱であった上に、本土防衛のための防空戦闘機が数少なくなっていたことがこの成功を助ける結果となった。標的となった日本の都市は、工廠を含む軍需工場、民家の区別なく徹底的に焼き払われ壊滅的な打撃を受けた。

焦土化作戦は東京や大阪、名古屋等の大都市を焼き払った後は、富山市や郡山市などの地方の中小都市までが対象となった。これらの空襲は日本国民を震え上がらせ、日本側から「鬼畜ルメイ」・「皆殺しのルメイ」と渾名された。

(略)

ルメイは1964年12月7日朝勲一等旭日大綬章を入間基地で浦茂航空幕僚長から授与された。理由は日本の航空自衛隊育成に協力があったためである。12月4日の佐藤栄作内閣の閣議で決定された。

叙勲は航空自衛隊創立10周年に浦茂が招待したことを発端とした防衛庁の調査、審査に基づく国際慣例による佐藤内閣の決定であることが明かされている。

推薦は防衛庁長官小泉純也と外務大臣椎名悦三郎の連名で行われる。

防衛庁から佐藤首相、賞勲局へ叙勲が適当であるという説明があった。

ルメイは7日に防衛庁で小泉長官を訪問予定であったが当日は三輪事務次官が挨拶を受けている。

勲一等の授与は天皇親授が通例であるが、昭和天皇はルメイへの親授を拒否された。勲一等旭日章という種類の選定は大将という階級から慣例に基づいたものである。

ルメイが東京大空襲、原爆投下に関係していることから授与に対し批判も大きい。当時、社会党、原水禁止団体、被爆者から国民感情として納得できないという声が上がった。国会でも叙勲に対し疑問視する声があった。

東京大空襲や原爆から叙勲は不適切ではないかという質問に佐藤栄作首相は「今はアメリカと友好関係にあり、功績があるならば過去は過去として功に報いるのが当然、大国の民とはいつまでもとらわれず今後の関係、功績を考えて処置していくべきもの」と答える。小泉純也長官は「功績と戦時の事情は別個に考えるもの。防衛庁の調査でも当時ルメイは原爆投下の直接部隊の責任者ではなく、原爆投下はトルーマン大統領が直接指揮したものである」と説明している。佐藤首相もそういった資料をもとに決定を変える意思はないと表明した。後年『NHK特集 東京大空襲』でのNHKの取材で戦争責任についての問いにルメイは勲章を示して見せている。

様々な俗説があり、橋本登美三郎官房長官が小泉防衛長官と叙勲決定のため動いていたとする説、池田勇人前首相が叙勲決定を行ったとする説(しかし、決定は佐藤栄作内閣のもとで行われ、池田は参加していない。)、源田実議員(元航空幕僚長)が推薦などを行ったとする説(しかし推薦、選考などは行政(内閣)で行われ、源田は参加していない)などが存在する。


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