☆参院選:未来、みどりに合流打診 (毎日新聞)
http://senkyo.mainichi.jp/news/20130511k0000m010022000c.html
http://www.peeep.us/2be5f8c5
政治団体「日本未来の党」代表の阿部知子衆議院議員は10日、国会内で記者会見し、みどりの風に合流を打診したと発表した。
(略)
脱原発を掲げる政治団体「緑の党」にも合流を呼びかけ、3団体による新党結成を目指す意向を示した。
↑
★阿部知子氏や、「みどりの風」の谷岡郁子氏を合同新党の党首にかついでも、ブームになるほどの人気はでないと思われるが、ネットでの人気を誇る保坂展人・世田谷区長
https://twitter.com/hosakanobuto
を合同新党の党首にかつげば、ブームが起こる可能性もあると思う。
《おまけ》
☆本多正信
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%A4%9A%E6%AD%A3%E4%BF%A1
松永久秀は正信のことを、「徳川の侍を見ることは少なくないが、多くは武勇一辺倒の輩。しかしひとり正信は剛にあらず、柔にあらず、卑にあらず、非常の器である」と評したという。
☆光武帝
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E6%AD%A6%E5%B8%9D
周囲からは謹直な人物と見られており、兄の劉縯が挙兵した際に「伯升に殺される」と恐れて協力を拒んだ者たちが、劉秀も挙兵することを知り「謹厚な劉秀も挙兵するのか」と驚き、かつ安んじたという。また即位ののち故郷に行幸した際、宴席で宗族の諸母は「文叔は若い頃、慎み深くて、人と打ちとけて付き合う事がなかった。ただ生真面目で柔和なだけだった。今やこのような皇帝である」と言った。光武帝はそれを聞いて笑って「我は天下を治めるも、また柔の道にて行わんと思う」と言ったという。
銅馬軍数十万を降伏させたとき、降兵らがなお安心していないことを知って軽装で巡察したため、降兵らは「蕭王は真心を持って人を信じて疑わぬ、命をかけてお助けしようではないか(蕭王、赤心を推して人の腹中に置く いずくんぞ死に投ぜざるをえんや)」と語り合ったという。
☆陸賈
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E8%B3%88
呂雉が死に、専横の呂氏を討つために陳平の家へ突如として現れ、陳平に助言して日頃から陳平と仲が良くなかった周勃を引き合わせ、自らも陳平から資金を貰い呂氏討伐の策を練った。
その後、陳平らが呂氏を討つと多額の褒美を得ることになり、文帝に太中大夫として再び漢に仕え、南越などの国へ再び説客として回った。のちに天寿を全うした。
☆陳平
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B3%E5%B9%B3
紀元前180年に呂雉の死を機として、陸賈の助言により陳平は宴会に見せかけ、宮廷内で大尉・周勃を始めとする反呂氏勢力や信頼できる人物を集め、密かに人脈を築き、打ち合わせを重ねていった。