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2012年12月16日日曜日

【加持祈祷】インド在住邦人が衆院選の好結果をヒンズー寺院に本格的に祈願


プージャー

http://kotobank.jp/word/%E3%83%97%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC

ヒンドゥー教における神像礼拝の儀礼。供物を神像に直接ささげ礼拝する儀礼を中核とする。バラモン教の伝統にのっとったヤジュニャyajña,すなわち祭火に供物をささげ神々に犠牲をおくる儀礼を中心にした祭式と対照をなす。日々家庭で水,食物,花などを神像にささげる簡単なものから,寺院や祭りの場で詳細な儀軌にもとづいて祭官が執行するものまで,形式は多様である。基本は賓客のもてなしと同様の方法で神像を供養することで,蜜を混ぜた飲物マドゥパルカを賓客に供する,ベーダ時代の賓客歓待の儀礼に従うのを最善とする(〈プージャー〉の語は,このマドゥパルカを〈混ぜて供する〉を意味するサンスクリット〈プリチpṛc〉を語源としている)。




☆12月16日は選挙とプージャ
(インド在住の篤信者のブログ)

http://blog.premasai-jyoti.shop-pro.jp/?eid=495209

しかしこのままだったら、もしかしたら日本が世界に誇れる憲法9条は変えられて、遺伝子組み換え作物ばんばん食べさせられて、原発は継続再稼動でちょーやばい高速増殖炉もんじゅもまた動かす計画みたいだし。

他人事と思って達観していたらそうじゃなかったと体感させられてあとのまつりとならないためにも、できることをできる時にできるタイミングで一人ひとりが自分なりに地味にやっておくことしか私たちにはできないし、

(略)

追加で明日、16日に日本への秘儀のプロテクトプージャを依頼してます。

そのスケジュール。

TOMORROW(16/12/2012) POOJA MORNING START WITH GOMATHA POOJA ,
明日16日、プージャはゴーマータプージャとともに朝にはじめられます。

GANAPATHI ABESEGAM, AND ○○○ JAPAM,HOMAM AND ABESEGAM,
ガネーシャアビシェーカム、○○○のマントラジャパ(チャンテイング)、ホーマム、アビシェーカム、

AND SUDHARSANAR JAPAM KALASA POOJA HOMAM ,

スダルシャナのジャパ、カラッサプージャ ホーマム


FROM 5 AM TO 4 PM,
午前5時~午後4時
(日本時間の午前8時半から午後7時半)





《おまけ~安禄山の乱と密教》

☆不空金剛

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E7%A9%BA%E9%87%91%E5%89%9B

天宝14年(755年)、安史の乱をきっかけに 精力的に教化活動を行い、安禄山が洛陽を支配すると、不空は勅命により西京長安に帰り、大興善寺に住して灌頂の壇を築き、調伏の修法を行なった。



☆安禄山

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E7%A6%84%E5%B1%B1

至徳2年(757年)正月、決起以来、目が悪くなっていた安禄山は、この頃に失明(糖尿病性網膜症とも言われる)し、悪性のできものもできていたので、その影響から周りの人間に対し粗暴になっていた。皇帝を称して以来、重んじていた厳荘もまた、宦官の李猪児とともに、鞭打たれていた。この時、安禄山は、太子に任じていた安慶緒を廃して、妾の段氏の生んだ安慶恩に後を継がせようとしていた。これを知った厳荘が、安慶緒と李猪児と共謀し、李猪児が腹を刺して暗殺した。箝口令がひかれ、安禄山は重病であるとされ、安慶緒が後を嗣ぎ、安禄山は太上皇とされた後、喪をなされた。皇帝を名乗って1年、年は55歳であった。



《平将門の乱と密教》

☆成田山新勝寺

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E7%94%B0%E5%B1%B1%E6%96%B0%E5%8B%9D%E5%AF%BA

成田山新勝寺は平安時代中期に起きた平将門の乱の際、939年(天慶2年)朱雀天皇の密勅により寛朝大僧正を東国へ遣わしたことに起源を持つ。寛朝は京の高雄山(神護寺)護摩堂の空海作の不動明王像を奉じて東国へ下り、翌940年(天慶3年)、海路にて上総国尾垂浜に上陸。平将門を調伏するため、下総国公津ヶ原で不動護摩の儀式を行った。新勝寺はこの天慶3年を開山の年としている。



☆承平天慶の乱

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%BF%E5%B9%B3%E5%A4%A9%E6%85%B6%E3%81%AE%E4%B9%B1

しかし将門が勝ち誇って自陣に引き上げる最中、急に風向きが変わり北風になると(寒の戻り)、風を負って勢いを得た連合軍は反撃に転じた。将門は自ら先頭に立ち奮戦するが、いずくからか飛んできた矢が将門の額に命中し、あっけなく討死した。



やきとりのいない八月

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