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2012年11月11日日曜日

【福島】為政者は被災者を分断して「夷を以て夷を制す」作戦に出た


「夷(い)を以て夷を制す」 後漢書。
異民族を利用して異民族をおさえる。敵国をおさえるのに、他国の力を利用する。以夷制夷(いいせいい)。



ラバ
https://twitter.com/phantomlovers/status/267396619182436352
賠償有無 地区に亀裂 - 福島・伊達市【11/11東京新聞28,29面】
原発立地、あるいは周辺の皆さん、ひと度、事故が起こればこうなります。


http://p.twpl.jp/show/orig/b8NpM


http://p.twpl.jp/show/orig/53bNi




☆避難勧奨地点「地区全体指定を」 伊達住民怒り収まらず
(2011年10月17日の河北新報)

http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/570.html

「地域の一体感が引き裂かれる」と地元が反発する事態が続いている。

「地域のみんなで子どもを守ってきたのに、自分だけ支援を受けて申し訳ない」。伊達市霊山町小国地区の40代女性が話す。

(略)

東電は指定世帯に対し、精神的苦痛に対する賠償として、避難した日から9月10日までは原則1人当たり月額10万円、それ以降の6カ月間は5万円を支払う。指定されない世帯に対する金銭の支払いは全くない。

地形や緑地などの条件によって放射線量は一軒一軒異なるとはいえ、住民は隣り合う家の「精神的損害」がこれほどまでに違うのかと、疑問視する。

(略)

同市霊山町下小国の主婦秋葉知子さん(39)は「指定されない世帯は、除染も後回し。地域に残って生活している人の負担も軽くはない」と話す。

小国小PTA会長の高橋裕一さん(42)も「支援に差をつけることは、地域社会のまとまりを損ねる」と危機感を抱いている。




《おまけ》

アイリーン・美緒子・スミスさんが語った、水俣と福島に共通する10の手口
http://yummyseaweed.seesaa.net/article/254519904.html

1、誰も責任を取らない/縦割り組織を利用する
2、被害者や世論を混乱させ、「賛否両論」に持ち込む

3、被害者同士を対立させる

4、データを取らない/証拠を残さない
5、ひたすら時間稼ぎをする
6、被害を過小評価するような調査をする
7、被害者を疲弊させ、あきらめさせる
8、認定制度を作り、被害者数を絞り込む
9、海外に情報を発信しない
10、御用学者を呼び、国際会議を開く




☆借刀殺人

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%9F%E5%88%80%E6%AE%BA%E4%BA%BA

同盟者や第三者が敵を攻撃するよう仕向ける戦術。敵を討っても自軍の損害は出さないことも目指している。例えば、敵のうちの一国と密かに講和して、交換条件に今までその国が同盟していた他の敵国を背後から奇襲させるというような計も借刀殺人にあたる。




☆仮道伐虢
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%AE%E9%81%93%E4%BC%90%E8%99%A2

攻略対象を買収等により分断して各個撃破する作戦、特に、いったん同盟して利用したものも後には攻め滅ぼすことを指す。晋に滅ぼされた虞(ぐ)と虢(かく)の故事による言葉である。

虞(ぐ)と虢(かく)という小国は、晋に隣接していた。晋の献公は虞公に国宝を送って買収し、虢を攻めるために晋軍が虞を通過することを許可するように求めた。虞の宮之奇は、「虢は虞の支えであり、虢が滅べば虞もやがて攻められる」と虞公に諌言したが無駄であった。果たして虢が滅んで数年後、虞もまた晋に攻め滅ぼされてしまった。




☆ルイ11世 (フランス王)

http://goo.gl/LBcVl

ルイ11世はシャルル7世の中央集権化政策を引き継ぎ、百年戦争後の荒廃したフランスを統一させるに最も成功した王である。その領土併合にあたって、戦争よりも主に外交・政治的な陰謀を用いて国内平和を保ったことは注目に値する。ユーグ・カペー以来のフランス君主の《分割して統治せよ》という伝統政策に結びつけられた王とも言える。



☆イギリス領インド帝国

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E9%A0%98%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E5%B8%9D%E5%9B%BD

また、ミントーは、ヒンドゥーとムスリムの分断を図った。教育を受けたムスリムの一部、有力なムスリムの太守、地主の間で共有されていた分離主義・親英的な人々を後押しする形で、1906年、全インド・ムスリム連盟が結成された。全インド・ムスリム連盟は、ベンガル分割令を支持し、国民会議のあらゆる主張全てに反対した。



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