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2012年11月23日金曜日

【日記】霊験あらたかな密教寺院で三宅雪子候補の善戦を祈祷した


近畿地方に旅行したので、霊験あらたかな某密教寺院(高野山真言宗)で三宅雪子候補の「必勝」「選挙当選」「大願成就」の3つの願いを祈祷してもらった。



《おまけ~安禄山の乱と密教》

☆不空金剛

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E7%A9%BA%E9%87%91%E5%89%9B

天宝14年(755年)、安史の乱をきっかけに 精力的に教化活動を行い、安禄山が洛陽を支配すると、不空は勅命により西京長安に帰り、大興善寺に住して灌頂の壇を築き、調伏の修法を行なった。



☆安禄山

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E7%A6%84%E5%B1%B1

至徳2年(757年)正月、決起以来、目が悪くなっていた安禄山は、この頃に失明(糖尿病性網膜症とも言われる)し、悪性のできものもできていたので、その影響から周りの人間に対し粗暴になっていた。皇帝を称して以来、重んじていた厳荘もまた、宦官の李猪児とともに、鞭打たれていた。この時、安禄山は、太子に任じていた安慶緒を廃して、妾の段氏の生んだ安慶恩に後を継がせようとしていた。これを知った厳荘が、安慶緒と李猪児と共謀し、李猪児が腹を刺して暗殺した。箝口令がひかれ、安禄山は重病であるとされ、安慶緒が後を嗣ぎ、安禄山は太上皇とされた後、喪をなされた。皇帝を名乗って1年、年は55歳であった。



《平将門の乱と密教》

☆成田山新勝寺

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E7%94%B0%E5%B1%B1%E6%96%B0%E5%8B%9D%E5%AF%BA

成田山新勝寺は平安時代中期に起きた平将門の乱の際、939年(天慶2年)朱雀天皇の密勅により寛朝大僧正を東国へ遣わしたことに起源を持つ。寛朝は京の高雄山(神護寺)護摩堂の空海作の不動明王像を奉じて東国へ下り、翌940年(天慶3年)、海路にて上総国尾垂浜に上陸。平将門を調伏するため、下総国公津ヶ原で不動護摩の儀式を行った。新勝寺はこの天慶3年を開山の年としている。



☆承平天慶の乱

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%BF%E5%B9%B3%E5%A4%A9%E6%85%B6%E3%81%AE%E4%B9%B1

しかし将門が勝ち誇って自陣に引き上げる最中、急に風向きが変わり北風になると(寒の戻り)、風を負って勢いを得た連合軍は反撃に転じた。将門は自ら先頭に立ち奮戦するが、いずくからか飛んできた矢が将門の額に命中し、あっけなく討死した。



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