☆福島・検討委 内部被ばく議論、当初削除 公開後に追加
(毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121120-00000005-mai-soci
http://www.webcitation.org/6CIY3ZHWi
修正された議事録によると、ホールボディーカウンター(WBC)と呼ばれる大型機器と尿検査による内部被ばく検査を巡り、オブザーバーとして出席した内閣府幹部らが「尿検査を本流に位置づけるべきだ」と指摘。だが、県側は「尿検査よりWBCとみんなが言っている状況で、尿に舵(かじ)を切れない」などと難色を示していた。
(略)
その後、県は一部住民を対象にWBCでの内部被ばく検査を続けているが、尿検査については一貫して導入に慎重な姿勢を示している。
《岩手県の子供132人のうち119人の尿からセシウム検出》
☆“健康への影響極めて小さい”
(2012年3月2日のNHK盛岡放送局)
http://megalodon.jp/2012-0303-1033-17/www.nhk.or.jp/lnews/morioka/6043413731.html
福島第一原発の事故による子どもの内部被ばくについて、県の専門家による会議は、県内の132人の子どもの尿に含まれる放射性物質を調査した結果、多くの子どもの尿から放射性物質が検出されたもののごく微量だったことから「健康への影響は極めて小さいと考えられる」という結論を出しました。
岩手県は、子どもの内部被ばくによる影響を調べるため、去年12月から2月にかけて、一関市、奥州市、金ケ崎町、平泉町それに宮古市の3歳から15歳の子ども、あわせて132人の尿の調査を行い、2日開かれた県の専門家による会議で報告しました。
それによりますと、132人のうち119人の尿から放射性セシウムが検出され、最も値が高かったのは、尿1リットルあたり6ベクレル以上7ベクレル未満だったということです。
このデータをもとに70歳になるまで内部被ばくする放射線量を計算したところ、最大でも0.03ミリシーベルト未満だということです。
これは一般の人が1年間に浴びても健康に問題がないとされる1ミリシーベルトを大幅に下回ることから、会議では「内部被ばくによる健康影響は極めて小さいと考えられる」と結論づけました。
そのうえで「調査を継続する必要はないと考えられる」としました。これについて岩手県保健福祉部の小田島智弥部長は、「県としても、健康上の心配はなく、安心だと思っている。継続的に調査するかどうか検討したい」と話していました。
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920 名前:地震雷火事名無し(岐阜県)
投稿日:2012/10/22(月) 18:12:44.59 ID:FunuEa/X0
>このデータをもとに70歳になるまで内部被ばくする放射線量を計算したところ、最大でも0.03ミリシーベルト未満だということです。
翌日から新たなセシウムを取り込まない前提での計算値だろうな
その線量を維持したときが計算しなおせ、と
901 名前:地震雷火事名無し(千葉県)
投稿日:2012/10/22(月) 16:49:59.94 ID:SQQj3S9S0
この尿検査の検出限界値は1ベクレルなので、9割の子どもが1ベクレル以上ということでしょう。
予想以上の多さに愕然としました…。
こちらの記事にも書きましたが、尿中セシウム平均約1.23Bq/L以上の慢性被曝で、チェルノブイリ膀胱炎(前ガン病変)が発症しやすい、というデータがあります。
http://ameblo.jp/tagajyomiraie/entry-11181104138.html
919 名前:地震雷火事名無し(千葉県)
投稿日:2012/10/22(月) 18:12:29.21 ID:SQQj3S9S0
http://ameblo.jp/global7ocean/entry-11158539253.html
日本バイオアッセイ研究センター所長福島昭治(医学博士)(東京新聞)
チェルノブイリの場合、膀胱炎が多発した地域では、高線量地域で尿のセシウムは平均6・47ベクレル/L、中位線量地域では約1・23ベクレル、非汚染地域では0・29ベクレルだった
岩手やばいじゃん・・・
● ある人からの情報 ●
先日岩手の子の尿検査についてブログで記事にされているのを見ました。
こちらはその詳細な数値になります。情報公開で取り寄せたもので、年齢だけは分からないのですが、数値はそのままです。よろしければこちらも、たくさんの人に目にしてもらえたらと思っています。岩手ではいまだに地産地消が根強く、屋外活動も普通に行われています。私たちは今土壌調査を行っていますが、庭から4000bq、校庭から2000ベクレル等も検出されている状況です。灰と同じレベルの校庭で子供たちが校庭100週の取り組みのため毎日大勢で砂埃を上げながら走っています。
http://getterrovo.mitsu-hide.com/shiryo/nyoukensa.htm
《軍事的理由ではなく「空気」「雰囲気」で特攻出撃した戦艦大和》
☆坊ノ岬沖海戦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%8A%E3%83%8E%E5%B2%AC%E6%B2%96%E6%B5%B7%E6%88%A6
4月1日、連合軍は沖縄本島への上陸を開始した。これに対する日本軍の菊水作戦の発動は4月6日と決定された。沖縄の日本陸軍や海軍陸戦隊は持久作戦を主張、内地の大本営や連合艦隊司令部は航空特攻や海上特攻を含めた総攻撃を主張し、日本軍の作戦方針は統一されていなかった。第二水雷戦隊司令部は米軍の優勢を認めた上で、3つの選択肢を検討した。
航空作戦、地上作戦の展開に関わらず沖縄に突入し、最後の海戦を実施する。目的地到達前に壊滅必至。
好機到来迄極力日本海朝鮮南部方面に避退温存す。
陸揚可能兵器弾薬人員を揚陸、陸上防衛兵力とし、残りを浮き砲台とす。
第二水雷戦隊は第3案を「最も有利なる案」として4月3日、第二艦隊司令部に意見具申する。第二艦隊司令部は賛同の上で連合艦隊司令部に伝達した。ところが伊藤中将は連合艦隊が航空部隊に総攻撃の準備命令が出されたことを知って意見具申を取りやめた。戦艦「大和」をふくめた第二艦隊の出撃は、豊田副武(連合艦隊司令長官・海軍大将)の指揮下に立案された最後の水上作戦である。
当時軍令部次長であった小沢治三郎中将は「積極的なのはいいが、それはもはや作戦と呼べるのか」と、連合艦隊参謀達に再考を促させたと言う。小沢は「片道燃料分しか燃料供給せず」を通告したが、連合艦隊側は作戦決行を主張し、最終的に小沢も「豊田長官がそうしたいという決意ならよかろう」と了解を与えている。
豊田は戦史叢書に成功率50%以下の作戦と判断しつつ、沖縄軍の心情を考えて『しかし多少でも成功の算あらば、できることはなんでもしなければならぬ、という心持で決断したが、この決心をするには、私としては随分苦しい思いをしたものだ』と証言しているが、後述の訓示とは矛盾している。この作戦は、「大和」以下の艦隊を沖縄本島に突入させて艦を座礁させたうえで、固定砲台として砲撃を行い、弾薬が底をついた後は乗員が陸戦隊として敵部隊へ突撃をかけるという生還を期さない特攻作戦であった。