このブログを検索

2012年8月20日月曜日

【竹島】「国際世論」対策機能で遅れを取る日本の国際放送


韓国国際放送「KBSワールド」電子版

http://world.kbs.co.kr/english/news/news_Dm_detail.htm?No=92602&id=Dm

は、記事の下端に、ツイッターやフェースブックへの「共有ボタン」を設置している。

また、動画ニュースのアーカイブ
http://world.kbs.co.kr/english/news/news_vod_detail.htm?lang=e&id=Po&no=92592
も用意している。


これに対して、日本の国際放送「NHKワールド」電子版
http://www3.nhk.or.jp/daily/english/20120820_23.html
はツイッターやフェースブックへの「共有ボタン」を設置していない。

これでは「チリも積もれば山となる」式に、国際世論対策で大差がついてしまう。




《徳川家康が関ヶ原で戦勝した一因は「書状作戦による大名たちの取り込み」にある》

☆関ヶ原の戦い

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E3%83%B6%E5%8E%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

小山評定を終え、東軍諸大名が清洲城を目指し西進を開始した後も、家康は動向が不明な背後の佐竹義宣に対する危険から江戸に留まり、藤堂高虎や黒田長政らを使って諸将に書状を送り続け、豊臣恩顧の武将の東軍繋ぎ止めと、西軍の調略による切り崩しを図った。黒田は吉川広家に毛利家所領の安堵を、小早川秀秋に、高台院への忠節を説いて内応を約束させる。

江戸城内で家康が東軍諸大名などに宛てた書状は約200通にも及び、家康の書状による情報処理は、その後の戦いの雌雄を決定付けることになる。

一方、三成が西軍諸大名に宛てた書状は家康のそれよりも少なく、真田昌幸からは「なぜ挙兵前に(挙兵の意思を)知らせなかったのか」と、返書で疑問にされている。



やきとりのいない八月

飛び地A

ブログ アーカイブ

The Daily Star(レバノン)

Rudaw(イラク)