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2012年8月16日木曜日

「三鷹事件が起きなければ日本に原発は林立しなかった」との見方


[タグ]森達也。原子力発電所。


☆「三鷹事件も原発も歴史的に繋がっている」
(週刊金曜日。2月3日号)

http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/?p=1634

時代背景について森氏は「三つの国鉄事件で共産党は大打撃を受けた。リベラリズムは後退し米国支配が強化されていった。そんな頃、中曽根康弘が原子力予算を提案し、正力松太郎の『読売新聞』を筆頭に原発をプロパガンダして安全神話を形成した。三鷹事件などの事件がなければ今、日本に54基の原発なんてない。歴史はすべて繋がっている」などと解説した。




☆三鷹事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%B7%B9%E4%BA%8B%E4%BB%B6

捜査当局は、1949年(昭和24年)8月に事故によって全国ストライキを起こし、それを契機に革命を起こすという動機で、国鉄労働組合(国労)組合員の日本共産党員10人と非共産党員であった運転士の竹内景助による共同謀議による犯行として彼らを逮捕した。そのうち、共産党員1人についてはアリバイが成立したため、不起訴として釈放されたが、残りの共産党員9人と竹内が起訴され、さらに2人が偽証罪で起訴された。

(略)

後の歴史家が注目した、犯行時間とされた時間帯に同僚と風呂に入っていたというアリバイ証言において、検察側は同僚の証言は竹内が主張する時間より遅かったとしてアリバイを崩す姿勢を見せていたが、弁護側は何故か同僚の証言を関連性なしという理由で証人要求を拒否するなど不可思議な行動を取っている。

(略)

竹内の供述は無実、単独犯、複数犯など様々な変遷を重ね、最高裁まで7回変更となった。竹内が単独犯を認める供述をしていたのは、共産党系の弁護士から「大した刑にもならないし単独犯として罪を認めて他の共産党員を助ければ、出所後に共産党で高い地位に付けられる」旨のことを言われて、共産党員ではなかったが共産党シンパだった竹内がそれを受け入れたためといわれている(大した刑にならないと述べていた共産党系弁護士は竹内に重罰刑判決が言い渡された後は竹内の面会に全く来なくなった)。

(略)

1949年(昭和24年)7月15日に三鷹駅で大事件が起きるという噂が警察関係で語られていたとの指摘が存在する。暴走電車によって大破した三鷹駅前の交番には4人の警察官が勤務していたが、事件時は交番を留守にしていたため4人全員が助かっていたことなどが傍証としてあげられている。





☆「葬られたのは誰か?」――週刊朝日の“下山事件”真相追究報道をめぐって浮上した疑惑
http://www.asyura2.com/0401/war48/msg/963.html
投稿者 passenger 日時 2004 年 3 月 05 日


つまり世の中の多くの人は、あれは労働組合側が、非情な人切りに対して怒りを総裁にぶつけてやったんだ、共産党がやったんだと思ってしまったわけです。実際には、いまだに犯人はわからないままですし、そう考える具体的な根拠は何もない。

しかし、この事件のために当時の共産党運動は、決定的な打撃を受けた。その瞬間に日本は、戦後復興から高度成長へと邁進する道に大きく舵を切ったことになる。

(略)

そのとおりですね、しかも、この事件ひとつではなく、この後、三鷹事件、松川事件と、計3つの事件が連続して起こっていることが重要なんです。その結果、神保さんがおっしゃったように、本当だったらゼネストにつながっていくような大衆的な動きが、完全に封印されてしまったわけです。

その直後には公職選挙法が作られて、共産党の赤旗対策や組織的運動対策で、文書頒布が禁止され、個別訪問が禁止されたんですね。

(略)

アメリカにとって最も都合がよい展開は、下山殺害の背景に共産党の暗躍していたというイメージを日本人が抱くことだ。これによって日本の共産化はくいとめられる。「日本を全体主義の防壁とするために極東の工場にする」と宣言したマッカーサーとしては、最も好ましい展開だ。

(略)

しかし総裁は殺されたのかもしれないという意識だけは、日本中に根付かせたい。「何をするかわからない」共産主義によるテロの脅威を、しっかりと植え付けたい。

事態はまさしく、このとおりに展開した。下山の後に三鷹、松川と事件が続き、実際に共産党員が検挙されたことで、日本国民の不安と共産党への警戒心は充分に喚起された。裁判はどうせ長引く。そのあいだに日本を変えればよい。ハリウッド映画や野球やコカコーラで、アメリカナイズすればよい。

(略)

下山事件から3年が過ぎた1952年6月2日未明、大分県直入郷菅生村の巡査駐在所がダイナマイトで爆破された。3名の共産党員が起訴されたが、実際にダイナマイトを仕掛けたのは現職の警察官だった。世に言う菅生事件だ。

共産党を弱体化させるために警察が組織ぐるみで画策したこの謀略を暴く過程で、当時の共同通信社取材班は大きな役割を果たし、その中心にいたのは、社会部の若手記者だった斎藤茂男だ。

(略)

「(竹山の註:下山事件によって)実際に共産党のダメージは大きかったよ」




http://www.jicl.jp/now/jiji/backnumber/1949.html
国鉄総裁下山定則氏が第一次の人員整理を発表した7月4日の翌5日の朝、同氏は国鉄の常磐線の線路上で轢死体として発見されました。増田甲子七官房長官は解剖の結果が出ない段階で他殺を示唆し、共産党系労組の犯行を印象づけました。




《「下山事件」と「電力利権」の接点を疑う人》

http://ameblo.jp/seven7-eight8/entry-11138224406.html


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