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2012年4月11日水曜日

三宅雪子議員が原発事故収束対策の議論のネット中継を画策


三宅雪子(民主党・脱原発派)
https://twitter.com/#!/miyake_yukiko35/statuses/189828017869176833
原発事故収束対策PT。せっかくフルオープンにしても報じて貰えないと意味がない。ニュースの編集権は当然テレビ局にあるが昨日の会議はまさに今、国民のある意味命を左右する内容の議論。谷岡議員、首藤議員、舟山議員、平議員らプロ顔負けの知識だった(勉強したのだろう)答えられない担当者ら


三宅雪子(民主党・脱原発派)
https://twitter.com/#!/miyake_yukiko35/statuses/189829768219344896
ということで、自前ネット中継はできないかと思った次第。今すべてを公開してもそれが報じられるかどうかわからない。個々の議員が発信しても限りがある。党は及び腰。(嫌がる)「TPPを慎重に考える会」はほぼユーストで中継されている。基本的に山田全農水大臣や川内さんはフルオープン派。


三宅雪子(民主党・脱原発派)
https://twitter.com/#!/miyake_yukiko35/status/189874117871280128
さっき、川内博史さんと今度からもう勝手に自分たちで中継しようかと言う話がでました。実現できたら画期的です。




《ポーランドの地下放送局(地下ラジオ)》

2010年1月のシンポジウム「『新選組』化する警察&検察&官僚がニッポンを滅ぼす!(フォーラム神保町)」
http://anarchist.seesaa.net/article/138721430.html
での光景。



154 名前:無党派さん[sage]
投稿日:2010/01/19(火) 02:56:26 ID:E5Soxl0c

会場中継の画面の脇には「トウィッター」(注:Twitter=ツイッター)の欄が表示されており中々気の利いた短文が多かったのですが、その中に「戦時下の地下ラジオを聞いているような感じだ」といった文があり、微笑ましく感じると同時に、今から丁度三十年前に結成されたポーランドの独立自主管理労働組合、「連帯」の事を思い出しました。

「連帯」は後に反政府運動化して共産政府から弾圧されましたが、民主化革命以後代表者であったレフ・ワレサ氏はついにポーランド大統領にまで上り詰めました。この「連帯」が弾圧の間市民のネットワークを維持していくために利用したツールが、カトリック教会を舞台にした秘密集会と西側の情報をキャッチする為のラジオであったと言われます。

この様に地下ラジオ、つまり吹けば飛ぶような小さな規模のネットワークでも、価値ある情報が伝えられるネットワークは強い影響力を持ち得るものなのです。

時代を動かしていく力は決して巨大な存在、強い存在が独占している訳ではなく、むしろ今回の企画の様な、たとえネットも含む聴衆が三千人程度であったとしても、価値を共有した人々が次々と影響を与え増殖していく事で発揮される部分の方がはるかに大きいと、今回は強く感じさせられました。




《偏向報道に激怒したマダガスカル国民が国営放送局を襲撃》

☆首都で反大統領デモが暴徒化、少なくとも34人死亡 マダガスカル
(2009年1月28日のAFP通信)

http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2564845/3731979

反政府デモは、反大統領派のAndry Rajoelinaアンタナナリボ市長(34)が呼びかけたもので、26日にはデモ隊が国営ラジオ局など複数の建物を襲撃・放火し、混乱が広がった。

市長の代理人によると、大統領が所有する民放テレビ局MBSをデモ隊が包囲した際、ガードマンが発砲し、デモ隊の1人が頭を撃ち抜かれた。市長は27日、デモの中止を呼びかけたが、その一方で、このガードマンが法の裁きを受けるまでは話し合いに応じないとしている。

市長は2007年の市長選に無所属で出馬し、大統領与党の対抗馬を破って当選。以来、「自由の縮小」や、韓国企業への大規模な農地の貸し出しをめぐり、大統領への批判を容赦なく繰り返してきた。前月には、ディディエ・ラチラカ(Didier Ratsiraka)前大統領とのインタビューを放映したとして自身が所有するテレビ局Vivaが閉鎖されたこともあり、政府への非難を強めてきた。




☆マダガスカル・クーデター
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%80%E3%82%AC%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%BF%E3%83%BC

2008年、ラジョエリナは自身が運営するテレビ局にフランスに滞在するラツィラカを出演させ、政府批判のインタビューを放映した。12月13日、政府はラジョエリナのテレビ局に対して、国外追放したラツィラカを出演させたことを理由に閉鎖命令を出した。

2009年1月24日、ラヴァルマナナが南アフリカ共和国に首脳会談の為渡航した。翌25日、ラジョエリナは政府によるテレビ局閉鎖を批判し、抗議デモを呼びかけた。デモ参加者の一部が暴徒化し、公共放送など政府施設や商業施設を襲撃、治安部隊が出動し暴徒を鎮圧、44人の死者が出た。アフリカ連合はラジョエリナの抗議デモを非合法的手段として非難声明を公表した。

2月2日、ラヴァルマナナはラジョエリナを国家反逆罪として最高裁判所に告発、最高裁はラジョエリナのアンタナナリヴ市長職を免職した。




☆アンドリー・ラジョエリナ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%8A

2007年12月12日に実施された首都・アンタナナリボ市長選挙に立候補し、当選する。自ら経営するテレビ局を中心に政府批判を行い、国外退去処分を受けた元大統領のディディエ・ラツィラカのインタビューを放映した。これに危機を感じた大統領マーク・ラヴァルマナナが、2008年12月13日にラジョエリナが運営するテレビ局を完全閉鎖した。

ラジョエリナはマーク・ラヴァルマナナへ猛反発し、応戦の構えを見せた。そしてラヴァルマナナはラジョエリナをアンタナナリヴ市長から解任させ、これがきっかけとなってラヴァルマナナへの批判は一層高まった。更に、ラヴァルマナナの公金横領疑惑が積み重なり、ラジョエリナは大統領宮殿の占拠を試みたものの、2月7日に治安部隊の銃撃を受け失敗。3月16日にマダガスカル軍と共に大統領宮殿を占拠し、これを受けラヴァルマナナは大統領を辞任し、マダガスカル軍へ実権を譲渡した。

ラヴァルマナナの大統領辞任を受け、新しく大統領の座にラジョエリナが就任した。




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