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2014年8月11日月曜日

戦前史点描「日本国民の多くはファシズムに抵抗せず、長いものに巻かれてしまった」

「国民は、心の底では軍部の専横を 苦々しく思っているのだけれども、 一寸圧迫が加わってくると、皆逃げ腰になり、次には迎合を始め、しまいには軍部勢力に便乗して何かうまい汁にありつこうとする。」
国家総動員法の(原文ママ)反対した牧野良三
https://twitter.com/atsukokimuchan/status/498618087092912128



☆牧野良三

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A7%E9%87%8E%E8%89%AF%E4%B8%89

戦前は立憲政友会に所属した。政友会内にあっては自由主義の立場に立ち、1939年(昭和14年)の政友会の分裂に際しては自由主義的な正統派(総裁・久原房之助)に所属し、翌1940年(昭和15年)に反軍演説による斎藤隆夫除名問題に際しても同じ政友会正統派所属の芦田均や宮脇長吉らとともに斎藤除名に対し反対票を投じた(反対票は7票のみ)。



☆反軍演説

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E8%BB%8D%E6%BC%94%E8%AA%AC#.E9.99.A4.E5.90.8D

反対 7名 : 牧野良三・名川侃市・芦田均・宮脇長吉・丸山弁三郎(以上政友会久原派)・岡崎久次郎(民政党)・北浦圭太郎(第一議員倶楽部)

と、反対者はわずか7名と、圧倒的多数の賛成票によって斎藤は衆議院議員を除名された。

この投票結果や経緯は、ただ単に軍部の政治介入による結果だけではなく、政党自体が議会制民主主義を破壊したとする「自壊」の面があることも斎藤自身も様々な歴史家らも厳しく指摘している。

(略)

その後、民政党は斎藤を見捨てたとして、内外の信用を失い、町田の求心力は落ち、後の解党への流れとなる。

政友会久原派も反対した5名に離党勧告、総裁の久原房之助は除名を強行しなかったものの、結果として解党へと向かう。

社会大衆党は、書記長麻生久により、党首の安部や片山ら除名に賛成しなかった8名に離党勧告を出し、安部ら8人は離党を拒否し、除名処分を強行、反対派を追放することにより、軍部に従順な態度をより鮮明にした。

親軍部の政友会中島派、時局同志会、社大党の主張通り、革新運動が加速し、戦争遂行のための協力体制と称し、大政翼賛会への流れへと直結した。

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