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2015年1月13日火曜日

米国CIAによる麻薬取引を暴いて「自殺」したゲイリー・ウェブ記者の調査報道が映画になった

2004年12月10日。ジャーナリストのゲイリー・ウェッブ氏が、カリフォルニア州サクラメント郡の自宅で、頭を銃で撃ちぬかれた死体として発見された。なお、サクラメント警察はウェッブ氏の死亡について「拳銃自殺である」と断定した。

Obituary: Gary Webb, prize-winning investigative reporter
https://web.archive.org/web/20041215060449/http://www.sacbee.com/content/news/story/11744167p-12630255c.html

              ↓

☆CIA 麻薬取引 中南米の反革命ゲリラのつながりを暴いて葬り去られた記者ゲイリー・ウェブ
(デモクラシー・ナウ)

http://democracynow.jp/video/20141009-3

新作劇映画Kill The Messenger(『使者を殺せ』)の主人公は、タブーを破ってCIAの犯罪を報道したために主流の企業メディアによって誹謗中傷されて職を失い、最後には自ら命を絶った報道記者ゲイリー・ウェブ氏です。

ウェブ氏は1996年サンノゼ・マーキュリー・ニュース紙(San Jose Mercury News)に、Dark Alliance(「暗黒同盟」)と題する衝撃的な記事を発表し、1980年代に全米で大問題になったクラック・コカインの密売が、CIAによって組織されたニカラグアの反政府右翼武装組織コントラの資金源であることをスクープしました。



☆The True story of "Kill the Messenger"
http://youtu.be/A0DAKBz2Sp0



☆オクトーバーサプライズ~1980年アメリカ合衆国大統領選挙

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%BA#1980.E5.B9.B4.E3.82.A2.E3.83.A1.E3.83.AA.E3.82.AB.E5.90.88.E8.A1.86.E5.9B.BD.E5.A4.A7.E7.B5.B1.E9.A0.98.E9.81.B8.E6.8C.99

1980年アメリカ合衆国大統領選挙では、現職ジミー・カーター大統領(民主党)とロナルド・レーガン候補(共和党)の間で接戦が繰り広げられていた。当時米国は、イラン革命で過激派の学生によりテヘランのアメリカ大使館が占拠され、大使館員52人が人質にとられるという試練を抱えていた(イランアメリカ大使館人質事件)。1980年4月、米デルタ・フォースによる人質救出作戦は失敗し、2期続投を目指すカーター政権への大きな打撃となった。このため、カーター政権の外交姿勢を「弱腰」と批判する共和党を勢いづかせる結果となった。

この事件に関して、ロナルド・レーガン政権の副大統領へ転身を企むジョージ・H・W・ブッシュとレーガンの選挙チーム責任者ウイリアム・ケイシー(後のCIA長官)が、1980年10月18、19日にパリで密かにイラン政府関係者と会談し、ホメイニ他イラン政府関係者に賄賂と武器供給を約束し、人質解放時期をレーガン大統領就任時まで延長するように交渉したという疑惑があるとされる。この交渉の目的は、カーターの在任中に人質事件を解決させないことで彼の人気を落とし、レーガン大統領就任時に人質解放を実現することで「強いレーガン大統領」を演出することであったとされる。

結局、この選挙でカーターは敗北し、1981年1月20日、ロナルド・レーガンが第40代アメリカ合衆国大統領に就任した。同日、人質となっていたテヘランのアメリカ大使館員らも無事解放され、生還した。



☆「Kill The Messenger」予告編 その1
http://youtu.be/VW4XO-52ubE


☆「Kill The Messenger」予告編 その2
http://youtu.be/kAd5iQd-6xk



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