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2015年1月5日月曜日

【憲法改定】改憲勢力を包囲するはずの社民共産は逆に包囲される苦しい立ち上がり 

☆国民の支持、低い中… 自民、改憲へ準備本格化
(1月3日の東京新聞)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015010302000105.html

http://www.webcitation.org/6VLaKS4r5

改憲案の内容は、一月下旬に召集される通常国会の会期中に、超党派のプロジェクトチーム(PT)を設置して議論する方針。護憲を主張する共産、社民両党を除く民主、維新、公明、次世代、生活、改革の六党に参加を呼び掛ける。




《徳川家康は外交で石田三成を圧倒してから関ヶ原の大会戦に臨んだ》

☆関ヶ原の戦い

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E3%83%B6%E5%8E%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84#.E5.89.8D.E5.93.A8.E6.88.A6

小山評定を終え、東軍諸大名が清洲城を目指し西進を開始した後も、家康は動向が不明な背後の佐竹義宣に対する危険から江戸に留まり、藤堂高虎や黒田長政らを使って諸将に書状を送り続け、豊臣恩顧の武将の東軍繋ぎ止めと、西軍の調略による切り崩しを図った。

黒田は吉川広家に毛利家所領の安堵を、小早川秀秋に、高台院への忠節を説いて内応を約束させる。

江戸城内で家康が東軍諸大名などに宛てた書状は約200通にも及び、家康の書状による情報処理は、その後の戦いの雌雄を決定付けることになる。

一方、三成が西軍諸大名に宛てた書状は家康のそれよりも少なく、真田昌幸からは「なぜ挙兵前に(挙兵の意思を)知らせなかったのか」と、返書で疑問にされている。



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