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2014年10月14日火曜日

〔御嶽山噴火〕数日前から前兆はあったがその情報が気象庁に届かなかった

☆御嶽山噴火 数日前から複数の異変 気象庁に届かず
(毎日新聞)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141013-00000017-mai-soci

https://web.archive.org/web/20141013201028/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141013-00000017-mai-soci

気象庁は「異変があれば公的機関に通報してもらうよう、火山防災協議会やパンフレットで広報している」としているが、事前の通報はなかった。

専門家は「山に詳しい人たちに協力してもらう体制を構築することが必要だ」と指摘する。




《戦史の教訓》

☆黒溝台会戦

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E6%BA%9D%E5%8F%B0%E4%BC%9A%E6%88%A6#.E6.BA.80.E5.B7.9E.E8.BB.8D.E7.B7.8F.E5.8F.B8.E4.BB.A4.E9.83.A8.E3.81.AE.E6.83.85.E5.A0.B1.E9.BB.99.E6.AE.BA

ミシチェンコ支隊の威力偵察行動は兵力が大きく、行動範囲も大きかったため、当然日本側も騎兵で察知していた。偵察を察知した秋山少将は、「敵の前哨活動が活発である。何か大作戦の予兆あり」と満州軍総司令部に対して幾度となく警報を送り続けた。しかし、警報はことごとく黙殺され、無視された。

また、先に述べたロシア軍のシベリア鉄道による補給活動が非常に活発であったため、日英同盟を結んでいたイギリス軍情報部によって列車の運送状況などの細かな情報もふんだんに満州総司令部に届いていたが、その情報も結局無視されてしまった。

黙殺の理由は「この冬季にロシア軍が大作戦を起こすはずがない」といったものである。満州軍総司令部の参謀達は、ロシア軍の習性は敵を撃退し、前進した後に必ず踏みとどまって陣地の構築をするものだと考えていた。そして、この時期の満州は非常に寒く、大地も硬く凍結しており、ツルハシで陣地の構築を行おうにも一日にわずか7cmしか掘れないほどであり、よって陣地の構築をすることが困難なこの季節には、ロシア軍は攻勢を発起するはずがないと考えていたのである。

しかし、ナポレオン・ボナパルトのロシア遠征を見てもわかるように、ロシア軍では冬将軍を気候の利として利用し、寒気を利用できる時期に攻勢を行うことを基本戦術として用いることが多い。だが、そのような定石戦法が考慮されることはなかった。

さまざまな情報がすべて、ロシア軍の大作戦を予兆するものであったにもかかわらず、満州軍総司令部はこれらの情報に目を向けなかった。このような状況下にロシア軍の大攻勢が実施された。この戦略的な失敗はのちのちまで大きく響き、日本軍の左翼は全線に渡って、攻撃を受け続けることになった。



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